無条件

 

日本が戦争に負けて無条件降伏したということは
中学校の頃に教わったが、
”無条件降伏”ということが、「条件なしに」ということだと理解しだしたのは
大学生になってからだった。
(「条件はあった」という説のことも知るようになったからだった)
「国際政治」の授業を取った頃だと思う。

「愛する」ということに条件はないと言われる。
愛することは「無条件」。
「年収が2000万超えているから愛している」とか
「タバコを吸わない限り愛している」ということは、
愛していることにはならない。
それは金や禁煙を愛しているだけ。
愛は無条件なもので、〇〇だからという条件はない(という)。
条件がないというのが、
愛することの唯一の条件みたいなことなんだろう。

ただ、そうも言っていられない人が最近は多く、
お見合いサイトやマッチングサイトで相手を見つける人たちは、
条件に条件を重ねて、候補を選別している。
異性に関する情報は膨大にあり、
条件で絞っていかないと、誰にもいきつかない(らしい)。
無条件で探していると、変なのに捕まるだけなのだ。
厳正なる条件でお互いが選んだすえに結ばれた二人は、
無条件の愛にいきつくまで、
どれくらいの時間を必要とするのだろうかと心配になる。
もしくは条件から入ると、そこまで行き着かないのだろうか。

ただ、たぶん、彼らにとって、そんな心配は無用で、
サイトに入力した”条件”は、たんなる最初の関門であって、
その関門を突破したら、
条件が満たされているかどうかなんてお互い忘れて、
単純な、夫婦間のパワーゲームが始まる。
その点、曲がりなりにも、
最初に合意した条件を遵守しなければならない国際政治は偉い。
最初に交わした条件が忘れさられるようなことがない。
現実の夫婦間では、お互いのパワーゲームの結果、
圧倒的に夫が妻に”無条件降伏”している。
その現状を見る限り、国際政治と同じく、
最初に入力した条件は、お互い忘れないでいてほしいなと思う。