瞑想生活1「ぼく、山の中で瞑想してくる」

以前、友人に「ぼく、禅寺に行く」と言ったら、
「禅寺に行きたいなんて、”ファッション”だね」と言われ、行くのを止めたことがあった。
確かに自分の中でなぜ禅寺に行きたいのかわからない部分があり、
禅というものが本の中だけの知識だったこともあって、
「禅」ではなく「皆が良いと言っている禅」に惹かれているのかもしれないと思い、躊躇したのだ。
それまで、茶道に触れていたこともあり、
「”茶道”の次に”禅”に行くなんて、オツが過ぎる」
と言われたのにも、納得してしまった。
確かに、それは、オツが過ぎる。

それから1年。もしくは2年。
また、禅寺に行きたい気持ちがムクムクと高まったが、
その友人に相談すると、また一刀両断されそうだったので、
その子には黙って、別ルートで紹介してもらったお坊さんに相談することにした。
すると、そのお坊さんは、禅寺ではなく、ミャンマー仏教系の瞑想を紹介してくれた。
上座部仏教系の10日間瞑想コース。
運営は仏教系だけど、宗教というよりも瞑想の方法論を学ぶところだ、という説明で、
「まとまった休みが取れるなら行ってみたら」と勧められたので、
仕事を前後に詰めて詰めて、10日間の瞑想旅行に出かけることにした。
「10日間、瞑想に行ってきます」と仕事仲間に言って出かけたりすると、
帰ってきた時には部屋からデスクがなくなってそうなので、
「外国の教育現場で取り入れられているプログラムの研修会に行ってきます」と伝え、
仕事場を離れた。
「瞑想」「海外」「教育」とグーグル検索すると、
何件かはそういう記事があがったので、
「嘘はついてない、嘘はついてない」と自分に言い聞かせながら、支度をした。

コースに行く前には、ほとんどコースの内容や瞑想法のことを調べていなかったので、
どんな団体が運営するコースなのかもよくわかっていなかった。
行く前にわかっていたことは、
「10日間瞑想をすること」
「質素な食事が出ること」
「携帯電話は没収されること」くらいだったので、
新幹線から降りると、食べ納めとして、
背脂ギトギトの豚骨ラーメンを食べて、

10日間連絡がつかなくても困らないよう、必要な人に連絡を済ませた。

普段から、人よりも理性は強いほうだと思っているので、
たとえ、これから参加するコースが怪しい団体によって運営されていたとしても、
変な思想に感化されるようなことはないと心配はしなかったが、
結構、仏教的考え方に普段から馴染みがあることもあり、
万が一、彼らの思想にドはまりした時のために、

10日後に携帯電話のメモが表示されるように、セットしてから家をでた。
メモ:「もし、このメモを見た時に、”俺は出家するしかない”と確信していたとしても、
  それは、ただの勘違いだから、早まるな」と。

そうして、新幹線に乗り、電車を乗り継ぎ、バスに乗って、
10日間を過ごすセンターというか施設というか、団体の敷地内に着いた。
そこは、山々に囲まれた、ただただ静かな場所に、
宿泊棟のような建物が2,3建っているだけだった。
事前に聞いていたように、その運営団体は仏教色が薄く、
そこで動いているスタッフの人も、
娑婆(しゃば)の人と変わらない、普通の格好をしていた。
「これからここで10日間過ごすんだな」と思い、携帯電話を見ると、
すでにそこは、圏外だった。
スマホを預けようが預けまいが、外部との連絡はどう頑張っても取れないのだった。
周りの、参加者と思われる人たちは、
それぞれなんらかの思いを抱えてやって来たらしく、
神妙な面持ちをしている人も、

太極拳やっている西洋人も、腰の曲がったおばあさんもいた。
10日間コースが始まる前日の夜7時、
オリエンテーション開始。
虫の鳴き声以外、何も聞こえない静かな山奥で、ゴォーンと鐘の音が響いて、
ぼくらの瞑想生活は始まった。