気は優しくて力持ち

子どもの頃、動物園でお相撲さんに会ったことがある。
小さい頃の記憶だから、実際に会ったことを覚えているのか、
その時撮った写真を後日記憶していただけなのかはわからないが、
何かの動物の檻の前でお相撲さんに抱っこされ、
自分以上に親たちが喜んでいた記憶が残っている。

お相撲さんは体が大きくて強いけれど、おおらかで人にやさしい、
「気は優しくて力持ち」な男たちであってほしいと、日本人は思っている。
だから、昨今の、力士による暴力事件やいじめ体質、
張り手やかちあげやに見られる横綱らしからぬ相撲の取り方には、
残念な思いしかない。
相撲道や柔道など、日本の武道には
スポーツというくくりだけでは語れない部分があり、
そこには、世間が失くしてしまった価値観や美徳が保存されているからこそ、
日本人は、偉いお坊さんと同じように、
尊敬の眼差しを彼らに向けるところがある。
それなのに、相撲や柔道が他のスポーツと同じように、
ただの勝ち負けの世界になってしまったら、
力士も柔道家も、ただの巨大で力だけ強い男たちに成り下がってしまう。

年が明けて、ラグビーは国内のトップリーグが開幕した。
W杯効果もあり、前年よりも多くの観客でスタジアムは溢れたという。
日本人が去年、あれほどラグビーW杯に注目したのは、
彼らの戦いの中に、他のスポーツや武道に見られなくなった美徳があったからだ。
国籍が違っても、同じチームの一員としてコレクティブに戦う。
相手にぶつかられても痛がるそぶりをしない。
反則に見えるようなプレーをされても、審判に無駄にアピールをしない。
トライを決めても派手なパフォーマンスはしない。
そして、試合が終われば、相手をこころから称え合う。

それは、本来、日本の武道が示すべき心意気ではなかったのだろうか。
日本のというか、
日本の武道でもそれらと同じ美徳は示せたように思う。
しかし、それを日本人にプレーで見せてくれたのは
イギリス発祥のスポーツで、
日本で長いことメジャーになりきれずくすぶっていたスポーツだった。
そこに新しい感動があったのは、
ラグビーというスポーツの特質によるものでもあっただろうし、
日本におけるラグビーの立ち位置がそうさせたこともあっただろう。

日本国籍を持たないプレイヤーも
日本代表としてプレーすることの多いラグビーでは、
外国人選手に君が代の歌詞や意味を日本人選手が教えたこともあっただろうし、
それによって日本人選手の歌い方にも変化があったのかもしれない。
他のスポーツの国際大会では、国歌斉唱時、
吐息を吐くくらいの声しか出さない選手が多い中、
ラグビー日本代表は、国歌斉唱を堂々と、高らかに歌っていた。
試合前に気分を高揚させる歌として、
君が代が優れていないことは確かで、
戦意高揚させる歌とはほど遠いのだけれど、
どんな歌であっても堂々と歌えば堂々と見えることを、
彼らの姿は示していた。
その一点だけでも、彼らが示そうとしたものは、
他のマイナースポーツとは違っていた。
(マイナーといっても、野球やサッカーほどメジャーではないということだけど)

2020年現在、この国に、まさかり担いだ『金太郎』以来続く
「気は優しくて力持ち」な男を体現しているのは、
相撲でも柔道でもプロレスでも野球でもなくラグビー選手だろう。
ラグビー選手は今メディアに追われて大変だろうが、
動物園で子どもに会ったら、嫌な顔せずに抱っこしてあげてほしい。
日本の国技が低調な今、「気は優しくて力持ち」の系譜を受け継ぐのは、
ラグビー選手しかいないのだから。

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