瞑想生活8「この数年で一番安い話(ii)」

暴力的な講話の声から逃れて、ブルブル震えながらベッドに入った僕は、
翌朝、現状を伝えるためにスタッフのもとへ行き、
「体調が悪いので、これからは遠くで講話を聞かせてほしい」と願い出たが、
なんだかんだ理由を言われ、
聞き入れてもらうことはできなかった。
こちらとしても、講話を聞きたくないだけの怠け者と思われるのも心外だと思い、
しょうがなく、次の日も、無理を押して、講話に参加することにした。
耳を塞いでおけば、どうにか大丈夫だろうと思い。

5日目の夜、講話が始まると、
耳を餃子にして塞いだ効果もなく、女性の音は耳をつんざいて、頭の中に侵入してくる。

僕はブランケットにくるまり、必死で耳をふさぐが、
女性の声は、頭の中をぐるぐるかき回す。

あぁ、やっぱり来るんじゃなかった・・・。
微かに頭に入ってくる講話の内容は、
ブッダが菩提樹の下で、「悟りを開くまではここを動かない」と決意し、
幾多の誘惑や邪念と必死に戦うシーンに突入したらしい。
でも、頭を揺らされている僕には講話の内容なんて関係なく、
ただただ、暴力的に耳の中に入ってくる声に、もだえている。
頭の中がぐるんぐるん回りだし、上下左右もわからなくなる。
座っているのに、ぐるぐるバットで目が回っている時みたいに目がまわり、
床につっぷしてつぶやく。

ああ、誰か、この音止めてぇ・・・。

ブランケットにくるまり、床につっぷした僕は、
朦朧とする意識の中で考えた。

これはやはり、昨日の夜、星に向かって「明日天気にしてください」と願った罰なのだ。

あれは、戒律で禁止されている「宗教的な祈り」に当たるものだったんだ。
これは、罰としての痛みなのだ。
いや、違う。
これは、「祈り」じゃなく、「嘘」への罰だ。
昨日の夜、スタッフにとっさに、「耳が弱いんです」と言ったあれだ。
あれはやっぱり、嘘だったんだ。
この痛みは、嘘をついた罰だったんだ。
いや、そうじゃない。
本当の原因は、一昨日のあれだ。
男性の生活圏と隔てられた女性の宿坊を眺めていた時、
そこで散歩していた台湾人の若い子をチラチラ見てたのが、バレてたんだ。
あの時は、目が合っていないからコミュニケーションを取ったことにはなっていないと
自分に言い聞かせていたけど、
よく考えれば、「視姦(しかん)」という言葉もあるじゃないか。
福音書にも、
「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのだ」と書いてある。

僕は、台湾女性を見ただけだと、自分を正当化していたが、
あれはコミュニケーションを禁止する「聖なる沈黙」を破っただけでなく
「戒律の3ヶ条目(いかなる性行為も行わない)」をも破ってしまっていたのだ。
あぁ、この痛みは、2つの戒律を破った者に与えられる罰なのだ。
どうりで、痛みが全然止まないはずだ。
あぁ、あたまが、回る・・・。

と、それまで朦朧とする意識の奥で微かに聞こえていた講話の声に意識が向いた。
女性の声が、
それまでの厳しい声から一転、

急に優しい声で、ぼくの耳にこう囁いたのだ。
「そこで、ゴータマは、完全に悟り、ブッダとなったのです」
それまで悟りに向かって苦闘していたぶブッダは、
ついに、悟りに至ったらしい。
その声を聞いた瞬間、僕の背中に走っていた悪寒がすっと消え、

からだを包んでいた嫌悪感がなくなって、
頭の中をぐるぐる回していたものが、すっとどこかに消えていった。
え?
それまで耳をふさぎたくなるような暴力的な音でしかなかった女性の声が、
穏やかな、なんの違和感もない、普通の声に聞こえてくる。
な、なにこれ・・・。
からだの不快感がさっぱり消え、
それから最終日まで講話は毎夜続いたが、

それ以降、一度も具合が悪くなることも、
女性の声に嫌な感じを覚えたり、反発心が湧き上がることもなかった。

僕はその夜、布団の中で考えた。
こんな、安い話があっていいのだろうか。
瞑想に行って、ブッダが苦しい修行している間の講話を聞いていたら気分が悪くなり、
「そこで、ゴータマは、完全に悟り、ブッダとなったのです」
と聞いた瞬間、からだの不快感が消え去り、元気になった。
ブッダの経験を追体験したとでもいうのか。
あまりにもストーリーが安すぎて、ここに書くことさえためらったが、

事実だから仕方ない。
自分に起こったストーリーが安いからといって、
自分が安い人間なわけじゃないと言い訳しながら。
(それとも安いストーリーが起こる人間は、安い人間なのか!?)

客観的に考えると、たぶん、瞑想していると感覚が敏感になるので、
からだの弱いところが敏感に反応するのだと思う。
左奥の虫歯もずっと痛んでいたし、
自分では気づいていなかったが、耳もたぶん、弱い部位なのだ。

そして、ブッダが悟りに至るまでの講話は、
ずっと人間の愚かさや無知さを強調する話ばかりだったので、
自然と、女性の声も強く、攻撃的になったのだろう。
それが、一転、ブッダが悟ってからは、
いかにブッダの慈悲が深いかの説話が多くを占めたので、
女性の声も、自然と穏やかになったのだろうと、推測する。

ただ、あまりにも、自分に起こったことがチープな出来事なので、
あまりこのことは口には出さないようにしようと思う。
チープな話をする人は、嘘をつく人と同じように信用されない。
戒律の6ヶ条目に「チープな話をしてはならない」と書いていなくても、
この話を初対面の人に話すのはやめよう。
どう話しても、変な人か、瞑想にかぶれた人の話にしか聞こえない。

 

 

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