12/19 同じコードで話せる人

人と話していてコードが違うなあと思うことがある。
お互い、「国」が、「社会」が、などと話していても、
どうも、話がうまく噛み合わない。
僕がいう「社会」と、彼がいう「社会」は別物のようだ。
言葉にはなにかしら意味があって、辞書にその意味は載っているわけだけど、
その背後には膨大な、これまでに、その言葉が使われてきた文脈があるので、
同じ意味で使っていても、使い方がかなりずれていることがある。
C(コード)で歌いたいのに、
ギターの人がG(コード)で弾き始めるようなものだ。

コード進行自体は間違っていないので、歌えないことはないが、
Cがいつものキーなので、Gで弾かれると、どうもしっくりこない。

コードが合っている人との会話は、前提を確認する必要がないので、楽だ。
その「自由」がどういう状態のことを言っているのか、
その「自由」の利点を語る裏には、どんなマイナスがくっついているのかを、
いちいち説明しなくても、わかってくれる。
話が、さくさく前に進む。
専門家同士が、専門用語ばかり使うのも、そういう理由だ。
特殊な専門用語は、意味以上の情報を含んでいるので、
それをわかり合っている人たちの間では、とても使い勝手がいい。

先日、政治家が「横文字ばかり使うな」とヤジを飛ばされていたが、
横文字(カタカナ)も、専門用語みたいなものだ。
横文字にしておけば、外国で使われている言葉を、
その言葉にくっついているまわりの情報を含んだ状態で、日本でも使える。
便利だ。
便利だが、まだ日本で十分揉まれていない言葉なので、
専門外の人(一般の人)にはうまく伝わらない。
内輪の言葉なのだ。

もともとスポーツで使われていた「パフォーマンス」という内輪の言葉は、
近頃、スポーツ界以外でも聞くようになった。
仕事場で最高のパフォーマンスを見せるために・・・。
自身のパフォーマンスを最大化するために・・・。
これまでスポーツ界で使われてきた言葉が、
一般社会で使われるようになったのは、
社会がスポーツのようなものになってきたからなのかもしれない。
ただ、「パフォーマンス」と言う時に、
そこにスポーツ的な考え方がくっついていることを、
話している人は、あまり意識していない。
そこが横文字と専門用語の違いで、
専門家は、専門用語の文脈を知ってて当然だが、
横文字は、別にそんなこと知らなくても、使っていい。
横文字は、敷居の低い専門用語みたいなものだ。

専門用語ばかりで話す官僚や、横文字ばかり使う起業家は、
なんだか信用に欠ける。
わかってもらおうとする気がないように見えるし、
本当に伝えたいことがないようにも見える。
本当に伝えたいことを言う時に、
どう受け取られるかわからない、
使い勝手のいい、便利な言葉は使わない。

相手と自分のずれがなるべく少ない言葉を使うはずだ。
ただ、専門用語や横文字ばかり話す人は、内輪で話しすぎて
どこまでが専門用語でどこまでが一般に通じる横文字か、わからなくなっている。
そういう人を見ていると、
コードが同じ人と話す心地よさも感じつつも、
コードが違う人と話すことも必要だよなぁ、と思う。

 

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次