1/6 風呂が嫌いな理由

日々、どうにも寒い。
こんなに寒いとどうしても風呂が長くなる。
日本人は風呂好きだと言われるが、
日本人の中には、風呂が嫌いな人や、短い人もいる。
銭湯や温泉に行っても、「カラスの行水」。
パッと浸かって、パッと出ていく。
何のために風呂屋に来たのかわからないくらい短い人も結構いる。

なぜ風呂に長く浸かりたがる人と浸かりたがらない人がいるのだろうか。
現役マンガにして名作である、「バガボンド」の中で、
武蔵に風呂屋で会った柳生兵庫助は、
風呂嫌いの理由を推測してみせる。
「常日頃、気と体の状態は
 いつ何どき斬りかかられても瞬時に対応できるよう備えている。
 猫のように。
 垢と一緒に、その構えまで解かれてしまう気がする故に、
 風呂が嫌いと」
武蔵は本心を言い当てられて、ハッとする。

温かい風呂は、それまで縮こまっていた体を解いてくれる。
風呂に浸かることで、がちがちに固まっていた「自分」が、
湯の中に解けていく。
湯気の中に雲散していく。
湯船に浸かると、「自分」が広がっていく。

脳学者のジル・ボルト・テイラー博士は、
自身が脳卒中になった際の気持ちを、
「自分という存在が周りのエネルギーと一体となり
 大きく、大きく広がる感覚を感じた」
と表現していたが、
脳が壊れると、それまで、脳が固定していた「自分」の範囲が崩れる。
この爪先から頭のてっぺんまでが自分だという思い込みが溶けると、
自分というものがどんどん広がっていく。
多分、液体かスライムのような感覚なんだろうと思う。

お湯に浸かると、「自分」が拡大する。
だから、大きな気持ちになるし、
一緒に浸かっている人との距離も近くなる
(その人も、「自分」になるから)。
だから、逆に、自分の枠を「守っている」人は、風呂を嫌がる。
自分を自分の枠内から出したくないからだ。
そう考えると、
最近の若者が湯船に浸からず、シャワーで済ますようになったことと、
他人とのコミュニケーションが上手くとれなくなったことには
なにか相関関係があるのかもしれない。

でも、多分、それは当てずっぽうの話だ。
江戸時代の人は、風呂好きだったが、
現代人のように毎日、風呂に浸かってたわけじゃあない。
ほとんどの日々は、行水で済ませていた。
湯船にしょっちゅう浸かっていたから、
自分の枠に閉じこもっていなかったわけではない。
比較をするなら、現代と江戸ではなく、
他国と日本の方がいいのかもしれない。
イタリアなんて最高だ。
かつての温泉大国で、今はシャワー生活。
いい比較ができると思う。
誰か、やってほしい。

 

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