9/15 雨の体育祭

テレビで、どこかの高校が特集されている。
急成長している進学校らしい。
1クラスの人数を多くし、
テストの結果を教室に貼りだして
競争心を煽るらしい。
昔ながらのやり方なのかしら。
授業一分前に予備チャイムを鳴らすことで、
授業が始まってすぐに授業に入れるようにしているらしい。
生徒にとっては、大変そうだ。
あと、雨で順延になるリスクを避けるため、
体育祭は京セラドームでやるらしい。
ん?
体育祭は、京セラドームでやるらしい。

いや、体育祭は、校庭でやった方がいいんじゃないだろうか。
私立高校だから、京セラドームででやろうがヤフードームでやろうが学校の自由だが、
体育祭は、校庭でやった方がいい。

「雨天順延は、困る」
それはわかる。
手間が二倍かかるし、金もかかる。
その後の授業計画だって狂うし、親の予定だって狂う。
でも、天気ってそういうもんだ。
思い通りにならないもんだ。

農家の人は、いつも空を見ている。
週末、田植えを予定していても、雨が降ったら翌週にずれる。
でも、そういうものだ。
ぶどう農家もびわ農家も、天候によって
袋かけや摘果(粒)の時期がずれる。
農家の家に生まれた子は、田植えと稲刈りの時期にいつも
急に手伝いしなくちゃなんなくなったと、遊ぶ約束をキャンセルしてきた。

自然は思い通りにはならない。
人間が作っていないものは思い通りにはならない。

「外で体育祭をやると雨天の際のリスクが大きいから、
 屋内でやることにしよう」
「そうしよう、そうしよう、それは合理的だ」
そんな考えで教わった生徒たちは数年後社会に出て、
会社に入り、会議に臨もうとした際に、女性社員の一人に
「子どもの急な発熱で会議を早退したい」と言われたら、
「しょうがないな。子どもは病気するもんだしな」と思えるだろうか。
そういう考えができるだろうか。
「女って、子どもって、やっぱリスク要因だな」
そういって、舌打ちするんじゃなかろうか。

子どもは思い通りにならない。
子どもに限らず、病気も老いも、体調も感情も
結構なものが思い通りにならない。
この世は思い通りにならないことで溢れているのに、
それを「合理的」に「ドーム」で片付けようとするのは、
安易にすぎやしないか。

人間は稲作を始めた頃から、
自然界からのリスクを減らそうと生きてきたが、
同時にどこまでいっても自然からは逃れられない。
(というか、人間自体が自然物だ)
そういう人間の両面を教えるのが教育だと思っていたのだけれど、
どうも色々な考え方があるらしい。
もちろんテレビなので、
番組がこの高校の実像を伝えているとは思わないし
僕が変だなと思うはこの学校ではなく、
そういう考えを持ち上げる人たちの考え方だ。

体育祭なんて数年に一度は雨天順延していればいいと思う。
楽しみな分だけ、頑張って準備した分だけ、
天候は思い通りにならず、自然は残酷だということがわかる。
人間の無力さを知るまたとない機会を
京セラドームの屋根で奪うなんて、
もったいないとしかいいようがない。
どうしてもドームでやりたいなら、ヤフードームでやればいい。
あそこは雨でも、屋根が開く。

 

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