ヤンキー

久しぶりにバリバリのヤンキーを見た。
金髪で黄色がかったサングラスをちょっと下げて睨みをきかせ、
赤いテカテカの上下ジャージにサンダルをつっかけている。
ここまでのヤンキーは最近とんとお目にかからなかった。

ヤンキーといえば、作家の橋本治は「ヤンキーに本を読ませろ」と著書の中で言っていた。
今の時代、政治家も経済人も信念がなく、自分の利益よりも道徳を優先させることがない。
政治家や経済人がそうだということは、社会全体がそうだということだが、
そうでない世界がこの社会に残っているとしたら、それは「ヤンキーの世界」だろうと。
ヤンキーは、自分の信念や道徳にしたがって生きようとする。
そう考えた故・橋本治は、生前、「秀才に道徳を植え付ける」よりも、
「ヤンキーに本を読ませた」ほうが、
まともなリーダーを生み出すには早いんじゃないかと書いていた。

「知能に道徳を乗っける」よりも、「道徳に知能を乗っけた」方が早い。
それはそうかもしれないなと、うなずきながら著書を読んでいたが、
読んでいるうちに、ヤンキー自体がこの社会からいなくなってしまった。
もしかしたら執筆当時も、ヤンキーは絶滅寸前だったのかもしれない。
そう考えると、あの本は、ヤンキーへのレクイエムだったのだろうか。

そう思い返していると、コロナ対策のニュースで大阪市長がテレビに出ていた。
なにやら「うがい薬が新型コロナに効く」と発言したらしい。
その後、その科学的根拠に疑問符がつくと、
一転して、「それだけで効果が認められるわけではない」と釈明したという。
大阪維新の会というのは、前々から「ヤンキーっぽいな」と思っていたところがあったので、
なんとなく橋本治の本のことを思いながら、ニュースを見ていた。
吉村知事自身はヤンキーではないだろうし、
学生時代、剣道・ラグビーに励み、
九州大学の法学部に進学しているのだから真面目なのだろうが
(すべてのヤンキーが勉強と部活動をしないわけではないだろうが)、
維新の威勢の良さとメンツにこだわる性質は、ヤンキー気質だなと思う。

今回の大阪維新の会のコロナ禍の対応を評価する人も多くいるだろうし、
早め早めに対応し、威勢の良さとスピード感があるのは伝わってくるのだが、
勢いに任せた不用意な発言や行動も同じように目立つ。
「うがい薬」の件にしても、「雨ガッパ」の件にしても、
「大阪の製薬会社と『秋までにワクチンを完成させる』と言った」件についても、
科学的根拠に欠けた判断だったように思う。
(たった半年で完成させるワクチンは、医療者に優先的に打たれるというが、
誰も怖くてそんなワクチン打たないだろう)
橋本治は、リーダーにこの威勢の良さを求めていたのだろうか・・・。

「うがい薬」のニュースと同じ頃、
文科省は、高校普通科の再編に伴い、高校の普通科に、
「現代問題に取り組むための科」と「地域問題に取り組むための科」の2つを
新設できるよう制度を変更した。
一見、世間の流れに即しているように見える話だが、
今でも幅広く学べている普通科にその2つの科をなぜ今、敢えて新設するのかは、
議論する時間もなく、いそいそと決定だけが下された。
それを推し進めたのは、かつて「ヤンキー先生」と呼ばれた人で、
かつての「ヤンキー先生」も、いまでは自民党の偉い位置にいるらしい。
ただ、「ヤンキー先生」というのは、ドラマか本のために付けられたネーミングなので、
その議員が、本当にヤンキーだったかどうかはわからない。
そもそも本当のヤンキーが何なのかもよくわからない。

本当のヤンキーというものを源流をさかのぼって考えるなら、
海の向こうのワシントンで、今秋に大統領選を控えている人が本物のヤンキーだろう。
ヤンキーとは「アメリカ北東部の白人」を指す名称で、
アメリカの白人の権利を声高に守ろうとする人たちの首領こそ、トランプ大統領だ。
ただ、橋本治は「ヤンキーに本を読ませろ」という時、
トランプ大統領を念頭に置いたわけではないだろう。
多分、念頭にあったのは橋本治が若い頃にいた古き良きヤンキーで、
そんなヤンキーはもう、日本の世間にも政治界隈にも、
本場アメリカにもいないのだ。
では、信念や道徳に沿って生きられるリーダーを育てるためには、
ヤンキーではなく、誰に本を読ませればいいのだろう。

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