天秤

はじめての寺に座禅をしに行くと、参加費(布施)の千円が何枚も無造作に突っ込まれた箱が
不用心に置かれていた。
泥棒でなくても「持ってけ」と言わんばかりの無人受付。

無人の野菜販売所なども同じことなのだが、不用心にお金が置いているということは、「持ってけ、ドロボー」ということではなく、「お金を盗れば、お金以上の不利益がありますよ」ということが前提にある。
そのことを思いながら、「目の前に無造作に突っ込まれた千円札の束」と「仏様のばち」とを天秤に載せてみる。

かつて、江戸時代には、家の鍵として、ただの紙を玄関に結んだという。
セキュリティ的には甘々の鍵ともいえない鍵。
でもそれは、「信頼」という名の鍵であり、泥棒に対し、家の中の金品と、それによって失うことになるコミュニティでの「信頼」を天秤にかけさせていた。

西洋の立派な家には鍵のついた門があり、西洋の強大な都市は、城壁で囲まれていた。
敵の侵入を許さない実用性のある西洋の「仕切り」に比べ、日本の「仕切り」は「精神性」しかない。
日本の神社の鳥居は「門(=GATE)」であるが、敵も味方も誰でも簡単に通れる。
誰でも通れるということは、神様も通れるということで、神様も通れるというその前提が、鳥居内にいる人々に、神様を意識した振る舞いを要求する。
鳥居の中では、人は、自分の行いを「神様のばち」と天秤に載せる。
ただ、鳥居の外やコミュニティの外では「神様のばち」を考慮にいれなくなるのが日本人の悲しさでもあるのだが、本当は、この島の東西南北には輝くばかりの真っ朱色の鳥居が立っていて、この世のどこにいても、そこは鳥居の中なのだから、「無造作に突っ込まれた千円札の束」をくすねるなんていう発想は抱いてはいけないし、妄念を抱いた時点で、本当は、「喝!」なのである。

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