渋い

配偶者のことを「嫁」と呼ぶのは今でははばかられるようになってきた。
10年も経てば、「嫁」は消えている可能性がある。
時代がそれを要請しているのだから。
「嫁」が駄目ということは、
「嫁」と対になる「旦那」も今後、衰退していくということだろう。

今の時代の呼称の正解は、「夫・妻」ということらしいが、
この呼び方には、知的な匂いがついてまわる。
「役所匂さ」と言ってもいいかもしれない。
「嫁」「旦那」のような俗くささ、泥臭さ、軽視感がない代わりに、
「もっともらしい」だけで、「手触り感」も「温度」もない。

「民芸」を創設した柳宗悦は、「渋い」という美の概念を絶賛した。
「渋い」という言葉が美を表すはるか以前、
俳諧の松尾芭蕉は、「渋い」とほぼ同じ美しさを「わび」と呼んだが、
柳は、「わび」には知的な香りが残るため表現としてはまずく、
「渋い」という、人々の味覚から取った言葉が、より平易で良いと評した。

カラヤンと並び称される稀代の指揮者、レナード・バーンスタインは、
門下生だった佐渡裕の指揮を見て、一言「シヴィー!」と唸ったという。
それほど「渋い」は日本的な感性を表す言葉であり、
それほど広まったということは、平易で的を射た表現だったということだ。
人口に膾炙する言葉は、知的でもっともらしい表現ではなく、
人々の感覚に根付いた表現である。

そういえば、私の実家の佐賀のおっさんたちは
自分の配偶者のことを、「よめご」と呼んでいた。
この田舎臭く聞こえる言葉は、漢字で書くと「嫁御」である。
おっさんたちは日常から配偶者に「敬称」をつけて呼んでいるのだ。
これは「うちのかみさん」という言い方が、
「神さん・上さん」から来ているのと同じである。
「妻・パートナー」と「嫁御・かみさん」。
これからスタンダードになっていくだろう「妻・パートナー」が、
これから確実に消えゆくであろう「嫁御・かみさん」よりも
相手にリスペクトを持った呼び方だと、本当に言えるのかは、大きな疑問である。

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