あだ名

最近の小学校では「あだ名」がだめらしい。
女子も男子も「さん」付けらしい。
そうして「いじめ」を抑止しているらしい。
でもそんなに減ってないらしい。

日本語は相手との距離を「呼び名」で変える。
「君」は「お前」よりも遠く、
「名前」は「名字」よりも近い。
高校生だった頃、ある友人は、女子との距離を詰めたくて、すべての女子を「下の名前」で呼んでいたが、誰一人女子からは、その友人が「名前」で呼ばれることはなく、距離は開いたままだった。

「人の呼び方」は「プライベート」に属する。
「子どもの世界」と言ってもよく、大人がむやみに入っていける場所ではない。
大人は教室内や授業中のマナーとしての「呼び方」は強制できても、「放課後の呼び方」にまでは入っていけない。
「授業中は『です・ます』で話しなさい」
強制は、そのレベルまでだ。

「あだ名がだめ」というのは、子どもに、「他人は尊重しなければいけない」と教える必要があるということである。
友達であっても別の人間。
勝手に叩いてはいけないし、変なあだ名で嘲ってもいけない。

そう教えたい学校の先生は「あだ名」を禁止しようとするが、それはなにも今始まったことではなく、ぼくら、25年前の小学生も、先生に「帰りの会」で言われていた。
「ニックネームはいい。でも、あだ名はだめ」
ニックネームとあだ名のなにが違うのか僕にはわからなかったが、クラスの中のある女子が手を挙げて聞いた。
「それはなにが違うんですか」
すると先生は言った。
「呼ばれて嫌な気分になるのは『あだ名』、嫌な気分にならないのが『ニックネーム』」
手を挙げた女子は納得行かない顔をしていたが、ぼくも窓際で、「それは理屈だな」と感じた。
実際、それは理屈だったため、その後も、クラスからあだ名はなくならなかった。

先生が「あだ名はやめろ」と戒めたかったのは、当時、「デブ美」とか「ブス子」などと、男子が女子を呼んでいたからだった。
ただ、そうした悪いあだ名で女子を呼んでいた男子も、中学に上がると、「名字」で女子を呼ぶようになった。
それは、そう中学の教師に指導されたからではなく、女子がいつのまにか「他者」になっていたからだ。
思春期の男子が、自分と距離のある異性を「デブ美」などと呼ぶわけにはいかない。
悪意があっても、「あだ名」は「名字」よりも近い。
年頃の男子にとって、「異性」は遠くなければいけないのだ。

学校で子どもに「さん」づけで呼ばせること自体は、悪いことではない。
しかし、それで「いじめ」が減るわけではない。
学校側の「建前」として徹底する分にはいいが、それで「いじめ」が減らないからといって、「子どもの世界」にむやみに大人が入っていくべきではない。
子どもには子どもなりの距離の取り方がある。
そして、それは年齢によって自然と変わる。
大人が年長者というだけで、「矩」をこえてはならない。