ざまあみろ

毎日、世の中ではいろんな事件が起こっている。
そして、色んな人がそれにコメントしている。
今は、インターネット上で誰もが意見表明することができるので、
事件の内容よりも、事件に対する人々の反応に目がいくことも多い。
先日も、芸能人がスキャンダルを起こした記事に、
「ざまあw」と書きこまれていて、なんだか嫌な気分になった。

「ざまあ」とは、「ざまあみろ」とか「ざまあねえな」の略だろうが、
その「ざまあみろ」というのは、「様を見ろ」ということで、
「己の”様”を見ろ」=「無様(な姿を見ろ)」ということだ。
知り合いでもない芸能人に笑いながら、
「己の様を見ろ」というコメントする気持ちは、
あまりよくわからないし、
まったく面識もない人に、興味が持てることにも驚く。

世間には「上司にしたい有名人ランキング」というものがあり、
女優やお笑い芸人やスポーツ選手が名前を連ねているが、
「上司にしたい人は誰か」と問われて、
スポーツの監督ならともかく、女優やタレントの名前をあげるというのは、
どういう考えからくるのだろう。
女優もタレントも、人に見せる用のイメージを作り上げているだけで、
イメージと、それを演じる当人の性質とは別のものだ。
何歩か譲って、タレントは当人の本性がにじみ出ているとしても、
女優は、役柄を演じているだけ。
ドラマの中で、どれだけいい上司や先輩を演じてみても、
それは、女優として腕がいいだけで、上司として有能なわけではない。
それなのに、芸能人に対して、「あのひと、いい上司かも」と思えるということは、
僕が思うよりも、みんなは、メディアの中の人に対して親近感を持っているのかもしれない。
だからこそ、面識のない人にも、「様ぁ、ねえな」と思うのだろう。
まったく興味のない人には、「様、ねえな」とも思わないものだ。

ただ、「ざまあみろ」という言葉が心地よくないのは、
相手が転んだのを見て、溜飲を下げている姿が下品だからだ。
他人の不幸を喜ぶのは、品のいい行為ではない。
転んだ人は、それまで調子に乗っていた部分があるからこそ、
「ざまあみろ」と、周りは言いたいのかもしれないが、
転んだ人は、転んだという事実だけで、惨めなのだから、
何も言わずに、放っておけばいい。
躓いた人にわざわざ「ざまあみろ」というのは、余計な一言。
死人につばを吐きかけないのが、日本人のいいところではなかったのかな。

そういえば、インターネット上やSNS上ではなく、
直接、相手に向かって「ざまあみろ」と叫んでいた人もいた。
常勝・福岡ソフトバンクホークスの工藤監督。
味方の攻撃中、審判のミスによって攻撃の流れを止められた監督は、
ベンチを飛び出し、審判団に猛抗議したが、受け入れられず、ベンチにしぶしぶ下がった。
その後、チームが連打し、逆転すると、監督は再びベンチを飛び出して喜び、
審判団に向かって叫んだ。
「ざまあみろ!」
その様子がしっかりテレビに映っていたことで、
試合後、監督は審判団に謝罪をしたらしいが、
監督の子どもじみた行動は、見ていて笑えた。
それが笑えたのは、監督が勝つために真剣だったことと、
「ざまあみろ」と言う相手がズレていたからだ。
理不尽な判定をされた後に逆転したことは、
工藤監督にとっては胸のすく思いだったのだろうが、
審判団はなにも不利益を被っていない。
「ざまあみろ」というのは、転んだ人を嘲る言葉であって、
相手チームに言うならまだしも、審判団に言っても、どうしようもない。
審判団は、監督のチームが逆転したところで痛くも痒くもないのだ。

ただ、もし工藤監督が相手チームに対して「ざまあみろ」と言う場面が
テレビに映し出されたとしても、
それはそれで、笑えたかもしれない。
スポーツは、勝ったり負けたりの繰り返し。
子どもみたいに、勝ち負けに一喜一憂して「やーいやーい」と言うのがスポーツでもある。
それは、お互いに真剣勝負しているがゆえの、子どもっぽさ。
面識もない人に向かって、ウェブ上で一人つぶやく「ざまあみろ」とは、質が違う。
「ざまあみろ」と言いたいなら、直接言えばいい。
否定的な言葉でも、直接口に出せば、その言葉を自分で感じることができる。
自分で感じられない言葉には、味もそっけもない。
「ざまあみろ」のような人を嘲る言葉でも、
味もそっけもある言葉には、笑う余地がある。