ダニエル

「幸福度調査」というものがある。
「幸福」ということを考える際、
「毎日辛いと思っていた高校時代」と、「その日々を、辛かったけど楽しかった思い出として思い返す大人の日々」では、どっちが「幸福」なのだろうか。
というか、「辛かった日々」と、「楽しいと回顧する日々」は、
どちらかでも「幸福」といえるのだろうか。

ダニエル・カールマンという人は、「自己」を「経験の自己」と「記憶の自己」に分けた。
「経験している自分」と「思い出している自分」だ。

ダニエルは我々に、問う。
「あなたは、記憶が消えるとわかっていても、旅行に行きますか?」と。

旅行には行ける。
しかし、記憶には残らない。
それでも、旅行に行く意味はあるだろうか。
経験とは思い返せてこそ、意味があるのだろうか。

その質問を、劣悪な環境で働いている友人にすると、
「絶対に行く」のだという。
「覚えていなくてもいい。俺は、自分の意思では消化できない有給を一日でも使いたい」というのが理由らしい。
その場合は、有給申請するところから記憶を消す必要がある。

同じ質問を別の友人にしてみると、
「行くけど、海外ではなく、近場の温泉に二泊三日くらいで行きたい」という。
理由は、「月曜に体が軽くなってそうだから」。

「記憶が消えるとわかっていても、旅行に行きますか?」という質問は、推し進めれば、「旅行に行くけどその記憶は消えてしまう」のと、「旅行には行けないけど行った記憶は作られて残る」のと、どっちがいいかという問いにつながる。
「記憶に残ることのない経験」と「経験してないのに、経験として残る記憶」
経験という「今」と、記憶という「過去」。
どちらが人を「幸福」にするだろうか。
はたしてはたして。