享年

太宰治は5回自殺した。
1度目は旧制高校3年生の時。
民衆のために左翼運動をしている自分と生まれつきボンボンである自分に
引き裂かれて、服毒自殺を試みるが、失敗。
2度目は大学生の時。
左翼運動をどうしてもやめないので、実家から勘当されてしまい、
生活のための金を絶たれてしまったことに絶望して、
行きつけのカフェのホステスと海岸で薬物自殺を図るも、失敗。
結果、ホステスだけが死亡。
3度目は大学を卒業する時。
長兄との約束で大学を卒業しなければならないにもかかわらず、
全然単位を取っておらず、
挽回するために、新聞社の入社試験を受けてみるも、不採用。
鎌倉八幡宮の裏山で首をつるが、失敗。
その後、盲腸炎からの薬物依存症。
4度目は妻に不倫された時。
精神病棟に入院している太宰をよそに、妻が浮気。
その相手が太宰がかわいがっていた後輩とあって、太宰は激怒。
妻と温泉に行き、二人で薬物自殺を図るも、失敗。
その年、離婚。
5度目は、二人目の愛人に死のうと言われた時。
妻と離婚した太宰は、再婚し、順調に多くの作品を発表する。
しかし、こっそり愛人を作り、その愛人との間に子どもをもうけ、認知。
その愛人とは別に、二人目の愛人を作り、
彼女からの提案で、玉川上水に二人で入水し、成功。
5度目にして、ようやく、死亡。

こうして、晴れて太宰は38歳で死ぬことに成功したのだが、
もし、一回目の自殺で太宰が死んでいたら、どうなっていたのだろう。
どうなっていたのだろうというか、
1回目ではなく、5回目で死ぬんだことをどう考えればいいのだろうか。
太宰は、38歳くらいまでは生きねばならない運命のような
宿命のようなものがあったのだろうか。

こんなに自殺を繰り返している人間は、どう考えても死にたがっているわけで、
狂言自殺ならまだしも、一緒に入水した女性は死んでいることを考えると、
(全部かどうかはわからないが)太宰は、本気で死のうとしていたのだろう。
それなのに、何度やっても、死ぬことができなかった。

金持ちの家に生まれ、左翼運動をしながらもボンボンでありつづけた太宰は、
自分が特別な人間であることに対して開き直ったり、
あえて道化を演じてみせたり、自分の自堕落さを卑下したり、
人間の苦悩を引き受けるキリストに自分を重ねたり、
そのキリストを裏切るユダに自分を重ねてみたりしていたが、
28歳の時に、小説「姥捨」の中で、
あろうことか、「普通の大切さ」を説いた。
それまでの自分の立場を無視して、
愛を捨て、素朴に生きろ、と。

人間は、素朴に生きるより、他に、生きかたがないものだ。
(中略)
生きていくためには、愛をさえ犠牲にしなければならぬ。
なんだ、あたりまえのことじゃないか。世間の人は、みんなそうして生きている。
あたりまえに生きるのだ。生きてゆくには、それよりほかに仕方がない。
おれは、天才でない。

こう小説に書いたのは、太宰、5度目の自殺の前である。
つまり、4度目までのいずれかの自殺が成功していれば、
太宰は、人間の尊大さと悲しさが
メビウスの輪のようにからまった存在で終わったのに、
4度、死のうとしても死なせてもらえなかった結果、
「普通の大切さ」を説くという、
太宰にしては、なんとも滑稽なことを言うに至ったのだ。

夏目漱石は、43歳の時、「修善寺の大患」で血を大量に吐き、
死んだかと思いきや、この世に舞い戻ってきたのだが、
あそこで死んでいれば、
「坊っちゃん」と「猫」の作家として知られただろう。
ところが、生きて舞い戻ってきたことで、「こころ」の作家にもなった。
漱石は、”晩年”、「則天去私」の心境に至ったと言われるが、
それはたまたま修善寺で死ななかったからやって来た”晩年”であり、
「則天去私」が、”最期”の境地かどうかはわからない。
あと20年生きていれば、
「やっぱり則天去私なんてのは、浅いです」と言った可能性だってある。

太宰も、たまたま失敗が4度続いてしまったがゆえに、
「普通の大切さ」を書くに至ってしまった。
3度目が成功していれば、その”境地”に至ることはなかったし、
5度目が失敗していれば、
「あれは一時の気の迷いから生じたものだったのだ」と言えたかもしれない。

人には享年があるが、それが必然の年齢なのか、たまたまの年齢なのかは、
誰にもわからない。
「早すぎる死」と言われることもあるし、
「晩節を汚した」と言われることもある。
適切な死の年齢があるのかなんて、わからない。
それは、偉大な作家であってもそうだし、
そのへんにいる「普通の大切さ」を最初から知っている凡夫であっても
やっぱり同じように、そうなのだろう。