以心伝心

トイレから出ると娘が立っている。
「出たぁ?」
もちろん「出たぁ?」の主語は「うんこ」である。
日本語は主語を曖昧にするというが、
幼児は曖昧ではなく、主語自体を消す。
述語のみの疑問。
そして、その主語の省略で相手に伝わるところにコミュニケーションが成り立つ。
説明していないのに通じる。
そのことに、人は安堵する。
なにが「出た」かは問題ではない。
主語がわからなくても、「出たぁ?」に対し
「出た」ということに意味がある。
この国では便所を一歩出れば、あらゆる場所で
「以心伝心」の真意を迫られる。