変わりゆく選手像

改めて考えると、王貞治と長嶋茂雄は偉い。
高度経済成長時代に、国民のヒーローとしてプレーし続け、
皆の期待を一身に背負って、その期待に応えつづけてきた。

時代は違うが、野茂英雄も、偉い。
日本球界やマスコミに後ろ指刺されながらも、
日本人二人目のメジャーリーガーとなって、見事な結果で見返した。

イチローは、誰がなんと言おうと、偉い。
日本での7年連続首位打者という看板を抱えて本場アメリカに乗り込み、
その看板に恥じぬ成績と記録をメジャーに打ち立てた。

方向性は違えど、川崎宗則も、偉い。
成績を残してなんぼのプロの世界で、自らを必要としてくれた球団を離れ、
敬愛するイチローと一緒に野球をするためだけに、海を渡った。
金や待遇ではなく、自分の中の純粋な野球への愛で、行動を決めた。

時代時代において、求められるアスリート像というのは、変わってくる。
野球が娯楽のど真ん中にいた
「巨人・大鵬・卵焼き」時代にプロ野球選手に求められたことと、
野球が、ただの娯楽の中の一つになってしまった時代にアスリートに求められることは違う。
野茂英雄は、90年代、誰も海の向こうのメジャーリーグに挑戦することがなかった時代に
メジャー挑戦したからこそパイオニアになったわけだが、
90年代というのは、野球のテレビ視聴率が最もよかった時代でもあり、
誰も気づいていなかったが、すでに国内プロ野球の人気は飽和状態だった。
皆が当たり前に野球を見ながら、素晴らしきマンネリズムを感じていた頃、
野茂は一人海を渡り、新しい日本野球の可能性を示した。

そうして野茂が開いた扉に、後から後からどんどん日本の選手が続いていき、
メジャーリーグに日本人選手が挑戦すること自体が新鮮ではなくなってくると、
イチローが登場し、海の向こうで次々と記録を打ち立てた。
ただのメジャー挑戦ではなく、
成績の上でメジャーリーガー達を凌駕するという新展開。
本場メジャーで、首位打者、MVP、最多盗塁、ゴールデングラブ賞を取り、
シーズン最多安打の歴史的記録まで打ち出したイチローは
新しい日本人選手の可能性を見せたが、
その後に続く選手が記録面でイチローに勝ることは難しく、
恵まれた才能を持つ数々の選手たちが、
「イチロー以後」の野球界で人々の記憶に残ることは容易ではなかった。

そんな時に、ホークスで長年中心選手として活躍していた川崎は、
安定したポジションを確約されていたチームを去り、
自分の野球愛に従って、敬愛するイチローと一緒に野球をするために、日本を旅立った。
晴れて、イチローとチームメイトになれたのもつかの間、
数ヶ月でイチローが他球団に移籍してしまい、
置き去りにされた形の川崎は、メジャーの舞台で、
試合に出たり出なかったりを繰り返しつつも、純粋に野球に打ち込んでいく。
記録や成績、マスコミからの注目とはかけ離れた場所で、
高校球児のように、懸命に野球に取り組む姿は、
「プロって何をしてお金を貰う人だったっけ」か、
と人々に(少なくとも僕に)考えさせた。
川崎の姿勢は、「野球とは、野球選手の数だけある」ということを示していた。

イチローは以前、王監督に、「チームの勝利と自分の成績のどちらを優先するか」と問い、
王監督は、「個人の成績」と答えていた。
それは「個人の成績」を最優先させた方がいいというよりも、
「個人の成績を最大限にしようとすることが引いてはチームのためになる」という
考え方の話だったのかもしれないが、
イチローと王という、歴史に記録を残した人たちの、
「個人」と「集団」に対する考え方は、一致していた。
彼らは、個人の能力の最大化が全体を利すると考えていた。

それに対して、長嶋茂雄は、現役時代、
観客の中から一人を選び、今日はこの人のためにプレーしようと決めて試合に望んでいた。
長嶋がプレーする時、頭の中には、「自分」だけではなく、
いつも「他人」がいた。
長嶋はある意味、ファンだけなく「日本」を背負っていた。

日本のマスコミに唾を吐かれながらも海を渡った野茂は、
「他者」に背を向けたように見えて、
ファンのことを忘れるような選手ではなかった。
国別対抗のWBCが日本で盛り上がっていた頃、
大会で故障し、所属チームに迷惑をかける選手が出る中で、
「選手が一番に考えるべきは、シーズン中ずっと一塁側で応援してくれている人達だ」
と答えていた。
野茂は、誰を一番大切にすべきかということをわかっていた。

プレーを「他人」が見ることで、プロスポーツの興行は成り立っている。
人々は、長嶋の勝負強さを見に行くし、イチローのストイックさを、
野茂の矜持を、川崎の純粋さを球場に見に行くが、
プロ野球選手のこころの中にはいつも、「自分がやりたい野球」と、
「ファンが見たいプレー」が、交差している。

今、日本野球の新たな扉を開いているのは、間違いなく大谷翔平で、
彼は打者のタイトルや投手のタイトルをとりあえず横に置いてでも、
「自分のやりたい野球」を貫こうとしている。
それは、「日本」を背負っていた長嶋とも、
記録を追い続けたイチローや王とも、
パイオニアであった野茂や、純粋に野球を楽しもうとした川崎とも違う。
ついでにいえば、野球選手の評価基準は「金」だと考えた落合とも、
国民のために、長嶋茂雄と一緒に国民栄誉賞を貰ってあげた松井とも違う。
大谷翔平は、やりたいことを好きなようにやる。
エゴでも、反発心からでもなく、
ただ、自分の中に自然に湧き出てくる感情に従う、一人の若者として。
たぶん、時代が求めているのは、そういう選手。
そして、それが許されるだけの圧倒的な実力を持った選手なのだろう。