専門家の立場

日本では新型コロナウィルスでの死亡者が4/18時点で、220人である。
これは中国や欧米に比べて少ない数字であり、
総人口当たりの死亡者数で見ても低い数字である。
その原因が何にあるのかは今のところわかっていない。
衛生観念の強い日本人の生活習慣が要因だという人も、
欧米でウィルスはすでに変異しているから感染力が違うんだと言う人も、
日本人は海藻を食べているから感染しにくいんだと言う人も、
封じ込め対策がうまくいっているんだと言う人もいる。
なにが正しいかは時間がたってみないとわからない。

ただ、ウィルスがどれほどの脅威かを判断するのは専門家で、
相手が人間でない以上、その見極めには専門的な知識がいる。
それは、東日本大震災の時の放射能汚染と同じで、
放射線がどれほどの脅威かを判断するのは専門家であり、
私達は、専門家の客観的なデータに基づいた見地に従って、行動していた。
しかしながら、その専門家の知見やデータの解釈をもとに、
社会的に大きな決断を行ったのは、政治家であった。
それと同じように、
新型コロナウィルスの脅威がどれほどであるのかを専門家がデータで示しても、
学校を閉鎖すべきか、緊急事態宣言を出すかどうかを決めるのは、
非専門家である政治家であり、
休業要請に伴って店を閉めるかどうかを決めるのは、店のオーナーである。
そこでは、科学的なデータに基づく決定ではなく、
政治的、経営的、社会的な状況を勘案した、総合的な決定がなされる。
知見を与えるのは専門家だが、決めるのは、専門家ではない。

経済学者・宇沢弘文は「社会的共通資本」という本の中で、
社会的な共有財産を官庁や市場ではなく、専門家集団が管理することを訴えた。
それは例えば、山や川のような自然、道路や水道などのインフラ、
そして、教育や司法、医療のような制度資本を、
官僚や政治家、または一部の企業に任せるのではなく、
「専門的知見にもとづき、職業的倫理に従っ」た専門家で
管理・運営しようと言ったのだ。
それらの共通資本は、社会全体にとって大切な公共財であって、
一部の官僚や一部の企業が私腹を肥やしたり、
強権的に牛耳ることが許されるものではないと、宇沢は考えた。

原子力開発は専門的な知識を要する分野であるが、
東日本大震災が起こる前から、それは科学問題ではなく、
賛成か反対かの二派に別れた、政治問題であった。
そして、今回のコロナウィルス禍でも、
ウィルスに関する専門家の知見が政治から完全に切り離されることはないようで、
感染症の専門家が集まった政府の諮問委員会は、
政府が下した「緊急事態宣言」の決断を後追いで「問題ない」と認証しただけであり、
テレビに登場する感染症の専門家は、その政府の対策を度々、非難していた。
つまり、これまでに取得・公開されたデータや
各国から得られた数字を同じように専門家が見ても、
ある専門家は政府の対策を酷評し、ある専門家は擁護するのだ。
専門家が政治的な意向や忖度から距離を取り、
独立を保ちつつ、
職業的倫理にもとづいて客観的なジャッジを下すことは相当難しいのだろう。
しかも、ウィルスのデータ分析だけであれば、
感染症と統計学の専門家だけで判断を下せばよいが、
企業の休業要請や学校の閉鎖など、社会的な判断要素がそこに加われば、
経済や教育の専門家も必要になるし、
もし、外出自粛が長引いて、家庭内DVや鬱病が増えた場合まで考慮に入れると、
福祉や心理学のスペシャリストさえも必要になる。
そんなに専門家がいては、意見を傾聴しているうちに危機が訪れてしまう。

専門家集団による管理・運営を説く宇沢は、
そこに「フィデュシアリー(信託)の原則」が必要だと説いた。
専門家は「信託」されているのであり、市民に対してだけ責任を負うことで、
職業的倫理観に基づく判断や、政治に左右されない知見が保証されるのだと。
現在の制度では、
諮問委員会や専門家会議の専門家は、政府や省庁によって選ばれているため、
彼らは、市民や国民から直接「信託」を受けているわけではない。
専門家であっても人間なので、
政府から選ばれたら、政府の顔をうかがい、
政府に選ばれなければ、政府を悪く言うということは起こりうるし、
専門家だからといって、個人的な思想や感情を持つなともいえない。
だからこそ、宇沢は、
政治的権力から独立した地位を専門家集団に与えよと、説いたのだろう。

今回の危機に対し、日本の政権は、
国民のことを考えているとは思えないスピード感のなさと
国民感情とのズレを露呈させて支持率を下げ、
それを修正できなかった官僚も、相変わらずなにも存在感を示せない野党も、
政治にかかわるほとんど全員が、国民からの信頼を失っただろう。
しかし、国民との距離が露呈したのは、政治家と官僚だけでなく、
専門家もまた、国民からの「信託」を受けていないんだなと、
テレビやSNSに出てくる専門家を見て感じていた。
それほど、各専門家が、感染症対策に対して意見を異にしていたし、
それぞれの主張の裏に、職業的倫理ではなく、
個人的感情や政治的思惑があることが目についた。
(本当の意味での新型コロナウィルスの専門家はまだどこにもいないらしいですが)

それに対し、当たり前ではあるが、
医療従事者を悪く言う話はどこでも聞かない。
この国ではいつも、手を動かす人が優秀で、
口だけ動かす人は無能ということになる。
しかし、有事において、「不信」は無駄なコストを生むのだから、
政治家はこれ以上不信を増幅させないでほしい。
そして、私達は、この社会での専門家の立ち位置や、
専門家と国民との回路を常に「信頼」で結ぶ方法を、
もっと考えるべきなのだと思う。