引っ越し

ここ数日の間に、人の引越しを手伝い、自分の引っ越しも済ませた。
人の引越しを手伝ってると、「こんなものさっさと捨てればいいのに」と思うものが多くある。
そう思うということは自分も思われているということだが、そういう時には意外と、心のどこかで、「こんなもの、さっさと捨てなよ」と人に言われることを期待していたりもするものだ。
今回、引っ越しを手伝った人は、だいぶ年上ということもあり、手伝いに来た者は誰も、気軽に「捨てなよ」と言い出すことはなかったが、おそらく、その年上の人は、心の奥では「捨てればいいじゃないですか」と言ってほしかったのではないのかと思ったので、指示があいまいな荷物はすべて、捨てるダンボールの中に入れていた。

「断捨離」や「ミニマリスト」という言葉が流行ったことが示すように、一時代前より、人は物を持たなくなったような気がする。
ただ、家の中の物が減った分、スマートフォンの中の情報量は増えた。
押入れに入れていた写真アルバムがそのまま、写真フォルダの中の容量に変わっただけなのかもしれない。
「断捨離」とはもともと物を捨てることではなく、物を持っている自分を「断ち」、「捨てて」、「離す」ことだったはず。
それができないと、いろいろな形で「もの」は手元に残る。

映画『パターソン』の中で、主人公の詩人は、ずっと書き溜めていた詩のノートを、最後、愛犬に食べられる。
詩人の恋人は怒り、犬を折檻したが、詩人と犬は黙ってその悲しさを耐えていた。
過去や物に囚われず、今を生きるのが詩人であり、犬である。
詩人も犬も心のどこかで、「こんなノート、さっさと食べられてしまえばいいのに」と、ずっと思っていたことだろう。