
高校生が壇上で、一年間かけて研究した成果を発表している。
 それぞれの発表にテーマがあり、
 その対象は、「太陽電池」だったり「カイコ」だったり「振動数」だったり、様々だ。
 高校生は、決められたスケジュールの中で研究をまとめ、
 発表の日がせまると、とりあえず発表のための着地点を探し出して、
 プレゼンをまとめにかかる。
 高校生が一年間で知り得たことが大人を驚愕させることはあまりないが、
 それぞれが、研究結果に意味をつけたり、
 社会に応用できる提案をしてみたり、
 研究をうまく一つの形としてまとめていた。
その中に、一つ、興味を引く発表があった。
 「負の数」について考察した研究で、
 「マイナス×マイナス=マイナスは成り立つ」という数学上の仮説を立てて臨んだ
 男子高校生の発表だった。
 見るからに数学が好きそうな壇上の男子は、
 ところどころ早口で言っていることがよく聞き取れなかったが、
 要約すると、現在当たり前だとされている「マイナス×マイナス=プラス」は絶対ではなく、
 「マイナス×マイナス=マイナス」の可能性も残されているんじゃないかという旨の発表だった。
 歴史上、数学は、土地を測ったり、星を観測したり、
 人間の生活の中で発展してきた経緯があるので、
 理論上できることがすべて今の数学に反映されているわけではない。
 今は「マイナス×マイナス=プラス」ということになっているが、
 その答えが「マイナス」であってもいいはずだという仮説。
 そして彼は、いろいろな角度から一年間かけて自分が立てた仮説を証明しようとしたのだが、
 発表の時期がさしせまってきた頃に、ある結論に到達する。
 ”「マイナス×マイナス=マイナス」を容認すると、
 他の数多くの公理が成り立たなくなってしまう”
 つまり、数学の一部分を変えてしまうと、
 それを前提に成り立っている他の部分が壊れてしまう。
 端から聞いていると当たり前に聞こえるその結論に、
 彼は探求を始めて一年たって、ようやく気づいた。
 「なので、これまで発表した研究1,2,3は、まったく意味がなかったことがわかりました」
 そう、彼は発表を締めくくった。
何かを研究し、その結果を発表する時、
 人は、それによって「わかったこと」「気づいたこと」を伝えようとする。
 研究によって「わかったこと」が成果であり、
 成果によって、人は評価を受ける。
 しかし、彼が「気づいた」ことは、
 「一年間かけて自分が取り組んできたことは無駄だった」ということで、
 彼が「わかった」ことは、
 「一つの公理は他の公理と関わっている」という、ごく当たり前のことだった。
 仮説を証明するための研究結果も、社会に応用できる提案もない。
 ただ、当たり前のことに気づいただけ。
 だけど、多分、それが、一番、難しくて、大切なことだ。
 彼の発表は、一年かけて「振り出し」から歩き出して「振り出し」に戻ってきただけだけど、
 当たり前なことを「当たり前なんだ」と自分の頭でわかっただけで、
 一番意味のあるプレゼンだったなと、聞いていて思った。
 その「当たり前」に気づくのに、一年近くかかってしまったことは、
 もしかしたら他の人と比べたら遅いのかもしれないけれど、
 人の理解や歩みは、人それぞれ違う。
 人が一ヶ月で気づくことに一年かかかったからといって、何も問題はない。
 大切なのは、「わかる」ことであって、スピードではない。
全員の発表が終わり、予想通り、彼のプレゼンは何の賞にも引っかからなかった。
 ただ、一年間の研究でそれぞれが得たものを鑑みると、
 本当の勝者は彼なんじゃないだろうかと思った。
 長いスパンで見ると、勝者と敗者も、変わってくる。

 
  
 
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