暴君・ネロ

ネロの話を読んでいた。
ネロとは第五代ローマ皇帝のネロのこと。
ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス。
鬱陶しい身内や側近を殺し、キリスト教を残忍な方法で迫害した「暴君・ネロ」。
そう。
暴君といえば、ネロ。
ネロといえば、暴君だ。
でも、初めてぼくが「暴君」という言葉を覚えた時、
心に浮かんだのは、一つ年上の暴君。
彼の名前は覚えてない。
そうだな。
仮に、彼を「ネロ」と呼ぼう。

ネロは、僕らの小学校に君臨していた。
学年的には一つ上で、その学年全体を恐怖で束ねていたネロは、
ナイフみたいに尖り、触れる者みな傷つけていたため、
下級生はおろか、同級生でも自ら近付く者はいなかった。
僕らは、触らぬ神に祟りなしと、なるべく近づかないようにしていたが、
たまに暴君から、サッカーやキックベースの「試合をするぞ」という赤紙が来て、
こちらの返事を待つまでもなく、試合をすることが決まった。

その日はキックベースで戦うことになり、僕らはせっかくの昼休みが、
暗黒の時間になることに気が重くなり、いつもより時間をかけて給食を食べた。
校庭に集まるとすでにネロのチームは全員が揃っており、
ネロは自分が決めた打順を、クラスメイトという名の部下たちに指示し、
こちらにも聞こえるような怒声で、チームにハッパをかけた。
「お前ら、年下に負けたら、ただじゃおかんけんな!」
負けたらなにかしらの拷問が待っているような可愛そうな上級生たちを前に、
勝とうという意欲は、僕らには最初からなかった。
聞けよ、ネロ。
これは、ほんの昼休みの戯れだ。
たかがキックベースボールなんだよ。
そう僕は、ショートの位置からつぶやいた。

試合が始まった。
ネロのチームの一番打者が、ピッチャーが転がしたボールを大きく蹴り上げ、
大きく飛ばされたボールは、センターにキャッチされてアウトになった。
一塁を回ったところで、アウトになった打者がベンチにとぼとぼと戻っていると、
ネロに「早くもどれよ」と怒鳴られ、
ベンチに駆け足で戻ってくると、その人は、右頬を強くネロに強打された。
え、ビ、ビンタ・・・!
戸惑う僕らをよそに、部下たちは皆、下を向いている。
一回アウトになっただけでビンタされるの・・・?
可愛そうでしかない上級生を見ながら、僕らは一気に青ざめた。
単なる昼休みの遊びなのに友達にビンタするなんて、敵としても気が気でない。
相手をアウトにするのも気の毒だし、変にエラーなんかしたら、
こっちにとばっちりが飛んできそうだ。
そんなことをみんな考えていたのだろう。
二番打者も三番打者も、忖度されたような疑惑の残るヒットで出塁し、
次は、4番・ネロの打席。
当然のように、ピッチャーは蹴りやすいボールを転がし、
蹴り上げられたボールを、誰も必死にキャッチしようとしていない。
たとえ自分が悪くても他人にあたるのが、暴君の暴君たる所以なのだ。
アウトにしたら、なにされるかわからない。
追いつけるボールなのに、誰も追いつけていない。
いや、今の絶対、捕れるボールやん。
そう思うと、みんな、小学生の時から、演技うまかったなあ。
子どもって、嘘ばっかついてたなあ。
本心では、誰も暴君となんか遊びたくないと思っていた僕らは、
普段はあんなに聞きたくなかった昼休みの終わりを告げるチャイムを、
ネロとの試合の時だけ、心待ちにしていたように思う。

ネロがいると息が詰まるよ。
中学にあがってもネロが中学を支配しているなんて、先が暗いな。
中学になると、ネロはどんな不良になるんだろな。
そんな会話を友達としていたら、ひょんなところからネロの話が入ってきた。
なんと、僕の母親がネロの母親と知り合いで、
ネロの家は母子家庭なのだという。
しかもネロは、家ではいい子らしく、誰もいない家に帰ったら、
仕事で毎晩遅くなる母親のために、まず、夕飯のお米をとぐのがネロの日課なのだという。
え。あの、ネロが、お母さんのお手伝い・・・?
学校での、暴君としてのネロしか知らない僕は、
裏のネロの顔を知り、なんだかやるせない気持ちになった。
ネロ、お前はただの暴君じゃないのか。
お前、本当は寂しくて、その寂しさから、友達に辛くあたってただけなのか・・・?
「うん。そうなんだ。僕は、もう疲れたよ。なんだか眠いんだ、パトラッシュ・・・」
それまで心の中で暴君として君臨していたネロは、僕の中で、
ちょっとだけ、「フランダースの犬」のネロに変わっていった。

そして、唐突に、ネロは僕らの前から、いなくなった。
小学校を卒業するかしないかの時期に、
ネロは、母親とともにどこかに転校していったのだ。
転校先でもネロは暴政を繰り返すのかな。
それとも心機一転、仲間の信頼を得るように努めるのかな。
どちらにしても、学校を支配することに代わりはないんだろうよ。
さよなら、ネロ。

そして、暴君がいなくなり、圧政から解放された一つ上の学年の人たちは、
晴れ晴れとした面持ちで、毎日を謳歌していた。
ただ、中学にあがると、ネロの周りでおべんちゃらを言い、
太鼓持ちをやっていたような人たちが、
ネロの代わりに威張るようになっていた。
圧政が終わっても、小さな悪による小市民的な悪政は続くようだったが、
どちらがよかったのかはわからない。
ローマ皇帝でキリスト教を弾圧したネロが「暴君」と呼ばれているのも、
その後の社会が、キリスト教に支配されたからだ。
見る人によって、人の評価は分かれる。
僕らのネロだって、僕があの時、
「ネロは家でお母さんのお手伝いを毎日してるんだよ!本当はいい子なんだよ!」
と言えば、みんなの心の中にも、
「フランダースの犬」のネロが宿ることもあったかもしれないのだ。
もしくは、ネロに僕がぶっ飛ばされていたかもしれないのだ。