極東

フランスの政治学者・エマニュエル・トッドが著書の中で、
「日本は”極東”というより”極西”なのだ」と言っていた。

日本は”極東”に位置している国だが、
日本を、アジアエリアの端っこにある国(=極東)と考えるよりも
ヨーロッパからアメリカへと続く、
西(欧米)エリアの端っこに位置する国(=極西)と見る方が、
しっくりくるという説明だ。
ただ、日本を西諸国の一部として考えるべきか、
アジアの一部として考えるべきかという前に、
「極東」とか「極西」という言葉は、
いまだになくならないんだなと、本を読みながら思う。

丸いはずの地球に、
「東の極」や「西の極」があるのは、
地球を平面として、中心をどこかに置いて考えるからだ。
”どこかに”というか、”西”に。

「西」の人は、自分たちに近い方から、
「近東」、「中東」、「極東」などと、
自分たちより東にある国を呼んできたわけだけど、
彼らの基準である「西」はゼロポイントなので、
「西」の中に、「近西」や「中西」はない。
「極西」という言葉も、
「極東」に対する”概念”でしかないので、
「極西」が、どこかの具体的な国を指しているわけではない。

日本人は、ど真ん中に日本が位置する世界地図を普段から見ているので、
「日本は極東なんだよ」と言われても、ピンとこない。
極東?
「極」っていうか、真ん中にいるはずだけどなあ・・・。

そのことについて、「西」でも「東」でもないアフリカの人は、
どう思うのだろう。
「西」とか「東」とか言う前に、
アフリカも東西南北のどこかに位置づけろよ、
と思うのだろうか。

最近はジェンダーの視点から、
「看護婦」を「看護師」、「保母さん」を「保育士さん」と、
なるべく、性別の色が付いている言葉を廃止し、
性的に中立な言葉を使うように変わってきているが、
いつか、文化相対主義の視点から、
「極東」という言い方も、「西」の色が付いていない呼称に変わっていくのだろうか。
そのムーブメントは、「東」の国々や、
「西」にも「東」にも入っていない国の人たちから発生してくる可能性もあるが、
西洋のポリティカル・コレクトネスなどの動きを見ていると、
「西」が、自発的に始める可能性も高い。
「西」の人々は、勝手に言い始めて、勝手に修正する。