潜在的なリリシスト

不良がきれいな言葉を使って歌っている。
不良といってもラッパーだ。
ただ、ラッパーといっても大麻の売人なのだから、まぁ不良だ。

不良がきれいな言葉を使って表現することは、別に珍しいことではないかもしれない。
これまで、ロックもパンクもヒップホップも不良が牽引してきたし、逆に、優等生は学校できれいな言葉の表現をしてきたわけではない。
学校ではたとえ、きれいなリリックが書けても、透き通るような詩が書けても、それだけで国語の点数が上がるわけではない。
「きれいな言葉の表現」と「科目としての国語」は別のものだ。

ただ、学校の勉強をすることと本を読む習慣には、相関がある。
中には、勉強は大嫌いだけど、小説は大好きという人もいるが、総じていうと、学歴と読書量には比例関係があると思う。
それは、不良(=勉強に興味ない子)には、書き言葉に触れる環境が少ないことを意味している。
その、言葉不毛のエリアに、音楽は耳からアプローチする。
美しい言葉を紡ぐことには価値があると、音で知らせ、ペンを取らせる。

ヤクの売人が綴るリリックを聞いていると、彼らにヒップホップがあってよかったなと思う。
まぁ、でも、ヒップホップがあっても売人を辞めているわけではないので、「音楽によって救われた」という、世間側からの言い方は適当じゃないのかもしれないけど、音楽がなければこんなに言葉を紡ぐことはなかっただろう。
そう思うと、不良と言葉の表現との接点が無さすぎることが、多くのリリシストを見逃しているような気がしてならない。
もっと不良に”言葉”を触れさせていたら、もっと色んな質感のリリックが生まれたかもしれない。
ヒップホップだけですべての不良にリーチできるわけもないのだから、ヒップホップ以外の言葉がもっと若者に訴えかける力を持っていれば、と思う。

しかし、本当は、潜在的なリリシストを見逃しているのは、不良に限った話ではない。
優等生も、不良でも優等生でもない普通の子も、今は、リリック(詞)やポエトリー(詩)に触れる機会がない。
それは、詩でいうと谷川俊太郎以来、短歌でいうと俵万智以来、万人に受ける作品が出ていないことからもわかるし、音楽界でも、詞が注目されるようなシンガーソングライターや作詞家の名前が、すぐに思い浮かばないことからも容易に想像がつく。

世の中は、詩的なものより意味のあるものを求めている。
韻文より散文、リリックよりストーリー。
しかし、意味を追えば、人は社会にはまって抜け出せなくなる。
意味は、社会を生み、人をこの世界に縛り付ける。
人間のしがらみや紐帯からトリップするためには、リリックやポエトリーのような、”意味のない言葉”が必要である。
人が”トぶ”ためには、必ずしも、大麻や覚醒剤が必要なわけではない。
言葉が、大麻や覚醒剤になることもある。
「覚醒剤としての言葉」は子どもには強すぎるとしても、「大麻としての言葉」を嗅がせる機会くらいはあったほうがいいと思う。
それは、言葉で別世界へトリップさせるためでもあるし、変な新興宗教や自己啓発家の安い言葉に騙されないためでもある。