生きているだけなのに

生きていることはそれだけでいいことだろうか、それとも悪いことだろうか。
仏教は基本的に、生は「苦」だという。
キリスト教では、人は神様の創造物なので、信仰がある限り神の祝福があるとされる。
私達が生きている近代社会では、生きていることがいいことか悪いことかは置いておいて、個人個人には生きる上で尊重されるべき人権があるとする。

「人権」は生まれたばかりの子でも死ぬまぎわの老人にも同じようにあるが、肉体の方は年齢とともに変化していく。
人によって差はあるだろうが、人は30歳を過ぎるようになると、肉体に変化が訪れる。
お腹に肉が付いてきたり、お尻がたれてきたり、シワが消えなかったり。
それは女性だけでなく男性も同じで、メタボだねと言われ始めたり、頭が薄くなったり、加齢臭が漂ってきたりする。

人は、中年になると、ただ生きているだけで、重力に負け、循環が悪くなり、黒いものが白くなるのだ。
ただ生きているだけなのに、ハゲ上がり、臭くなるなんて、なんて惨めで可愛そうな存在。
仏教は、老いることを「生・老・病・死=四苦」の一つとして揚げたけれど、見た目の衰えや匂いの変化から言うと、「老い」は、「苦」というより「惨」である。
「四惨八惨」
かわいそうな人間、そして、私。

頭が禿げ、体臭がきつくなった中年男性は、社会から邪険に扱われる。
仕方ない。
私だって、禿げ頭よりはサラサラの髪を見ていたいし、加齢による篭もった匂いよりもフローラルの匂いのする人の側にいたい。

ただ、学校や家庭では、子どもを教育する際、見た目のことで人を悪く言ってはないけないよ、と教える。
子どもが友達を「デブ」とか「チビ」とか「ニキビ」などと笑ったら、叱り飛ばすだろう。
太っているってだけで人を馬鹿にするのは愚かなことで、背が低いからってだけで汚い言葉を浴びせるのは、人として間違っている。
太っている子も小さい子も、ただ生きているだけなのだ。
それは、単なる身体的性質の一つであって、何一つ「悪い」ことをしていない子が、嫌な思いをしなければいけない理由はどこにもない。

しかし、それなのに、歳を重ね、ただ生きているだけで、肉が垂れ、頭がハゲ、首元が臭うようになった人間は社会から遠ざけられ、本人たちは惨めな気分になる。
大人の社会は、単純な子ども社会とは違い、色々と配慮してくれるので、「この、ハゲー!」と、いわれのない悪口を浴びせられることはほとんどないが、無言の態度が惨めさを加速させることもある。

百歩譲って、「肥満を悪く言う」ことは、なんとか理解しよう。
肥満が嫌われるのは、肥満が「怠惰」と結びつくからで、アメリカで、大企業のCEOになりたいなら禁煙とダイエットが不可欠なように、勤勉な現代社会は、太っている人を「怠惰で自制が出来ない人」とみなす。
勤勉を良いものだと信じすぎている現代の考え方は馬鹿バカしいとは思うが、まあ、今の世の中を支配する価値観が、肥満を嫌い、メタボを敵視する姿勢の根底にあることはわかる。
考えに同意はしないが、理解はできる。

しかし、「ハゲ」や「加齢臭」は、「自制」や「怠惰」とはまったく、関係がない。
「ハゲ」や「加齢臭」を嫌う態度の根底には、何の価値観もない。
それは、ただの「美醜」であり、「嫌悪感」である。
理由なく、嫌なのである。

日本は世界に先駆けて、高齢化社会の先頭を走っており、今後は、超高齢化社会に突入する。
しかし、歴史上初めて、社会が老人ばかりになったわりに、老人に関する新しい思想が生まれる気配はない。
「老いること」に焦点を当てた新しい議論も巻きおこらない。
「社会保険の問題」や「老後の2000万円問題」など、老後をどう切り抜けるのかの話はあっても、老いることを見つめ直す考えが「思想」レベルで現れる気配はない。

社会の変化は思想の下準備をする。
王権や教会の力が弱まった時代に「基本的人権」の思想が生まれたように、高齢化社会は、老いることを考え直す準備をすでに整えている。
いつまでも「アンチエイジング」などと、街に若い人が溢れていた元気な20世紀を引きずっていないで、老化した人々で溢れた今の現状を見つめるところから始めなければいけない。
一刻も早く、高齢化社会を肯定する思想を生み出してほしい。
そうしないと、「ハゲ」や「加齢臭」を潜在的に持つすべての男性が救われない。
何も悪いことをしていない、ただ生きているだけの人間が惨めな思いをしなくてすむようにしてほしい。