男性が不要になっていく社会②

経済的にも子作り的にも必要とされなくなった男たちは、
今後なにをすればいいのだろうか。
そう問うと、ある女性は、男性も女性と同じように、
今後は、丁寧に家事をこなし、こまめに人に配慮できるようになればいいと答えた。
今は男性も家事をする時代だし、男性も気を利かせる時代なのだと。
多分、それはそうなのだろう。
しかし、女性と男性ではかかりやすい病気も異なるし、
得意とする仕事も違う。
男性がどうあがいても、
女性が当たり前にやることを同じようにできないということもある。
それは、仕事場で、思春期の男子高校生と女子高校生を見ていてもひしひしと感じる。

女子生徒に比べて、男子生徒は明らかにコミュニケーション能力が低いし、
相手の視点にたって考える繊細さや丁寧さもない。
もちろん個人差はあるし、ことさら性差を強調する気はないけれど、
年齢に応じて学習する内容が変わるように、
性別に応じて習得しやすい能力は違ってくる。

一昨日、学校で、一台の車がエンストして停まってしまった時、
男子生徒たちは、全力で車を駐車場まで押していた。
その充実した表情や活き活きした姿を見ると、
彼らは本当は、重いものを力いっぱい押したり、
なにか物を思いっきり遠くに投げたりしたいのだろうなと感じる。
養老孟司先生は
「現代人は体を持て余している」と言ったが、
男子生徒たちは、計算したり単語を覚えたりグループワークでコミュニケーションを取る前に、
自分の身体を最大限に使って生活したいのだ。
しかし、教室には、持ち上げなければいけないも、
遠くに投げなければいけないものもない。
社会で必要な技能を子どもらに習得させる場である学校は、
都市化社会では、身体能力を活かすような場面は訪れないのだということを、
生徒らに授業を通して伝えているのだ。
彼らは、それを暗に理解し、その流れに順応するように、
自身の「草食化」を強めていく。

都市化社会は、私たちの身体や生理を排除しようとし、
男女を問わず、体を活かす機会を奪い去る。
ただ、現在は、「女性が活躍できる社会」を整えている段階なので、
「育休」や「マタハラ」など、
女性の生理や身体に配慮した社会の動きには皆、注目する。
しかし、同時に、都市化は男性の身体も疎外しており、
男性特有の身体性や身体的性質は、無視される。
「生理が原因で女性が会社を欠勤することはないに越したことはない」
と企業で働く人々が心の中で思っているのと同じように、
「がさつで暴力的で、セクハラやパワハラを誘発する男性的エネルギーは
薄いに越したことはない」
と都市化社会に暮らす人々は、思うようになっている。

ただ、女性の身体に配慮した社会システムに比べて、
男性の身体に配慮した社会づくりとは、一体なんなのだろうか。
力いっぱいものを持ち上げたり、ものを遠くに投げる必要なんてない時代に、
男のからだを活かした社会が作れるものだろうか。
女性が身体のバランスを取りながら健やかに輝けるように、
男性が身体のエネルギーを活かしながら社会で輝けた方がよいのだろうが、
仕事=パソコンを打つ社会において、うまいイメージが沸いてこない。
しかし、男性の身体性は時として暴力性に走る危険性がある以上、
この問題は、放置しておくべきでもない。

「都市化社会」とは「情報化社会」のことであり、
情報的になりにくい身体は、都市化された社会では疎外されていく。
しかし誰一人として身体なしには生きていけないのだから、
社会全体が、身体をないものとして扱うのではなく、
身体や身体エネルギーがあることを前提に、
活かしたり、コントロールしたりする術を、
皆が、社会の教育過程の中で身に着けていくべきだと思う。
女性においては身体と心のバランスの取り方、
男性においては身体エネルギーのコントロールの仕方を学ぶべきかと考える。