盲目的な自粛

新型コロナによる社会の自粛が今後どうなるのか、先が見えない。
感染者の数は収束に近づくどころか、
各県で第一波を超える数字も見られており、
自粛が解除される見通しは立っていない。
今週末に立ち寄った昼間の博多駅も京都駅も、
以前の早朝5時くらいの人しかいない。
大きな「箱」に対する「人」が少なすぎて寂しい。

新型コロナに伴う自粛はなぜ、いつまでも終わる気配を見せないのだろうか。
というよりも、なぜ、終わりにしようという議論すら出ないのだろうか。
もちろん新型コロナウィルスが未知の感染症であり、
警戒するに越したことはないにしても、
社会全体が自粛することで、多くの人たちの生活が脅かされている。
人を殺すのはウィルスだけではない。
今の世間の空気では、おおっぴらには言えないとしても、
「元通りの生活に戻すべきじゃないか」と思っている人は多いはずだ。
観光業や旅行業、外食、小売、エンターテインメント業に携わる人だけでなく、
医療従事者なども、コロナ患者以外の患者を多く抱えており、
報道によって、コロナだけが重要な病気かのように
バイアスがかかることを心良く思っていない人も多くいるだろう。
(そもそも、コロナ医療をすればするほど病院が赤字になるのは問題でだろう)

そうした「コロナ後の社会」を一刻も早く通常に戻したい人がいるにもかかわらず、
社会の雰囲気が今も「安全第一・予防第一・自粛第一」一辺倒なのは、
コロナ後の社会体制の中でも、割りを食っていない人が大勢いるからだろう。
もし自分が、居酒屋の店長であれば、絶対に通常の社会に早く戻ってほしいと思うし、
ライブハウスのオーナーでも、大学に通えていない一年生であっても、そう思うに違いない。
しかし、世間には、そう思わない人たちが大勢いる。
おそらく、その人達は、コロナによって深刻な打撃を受けていない人たちだ。

それは、例えば、大会社の社員。
今回の件でリストラされる心配もなく、むしろリモートワークが容認されたことで、
余裕ある労働環境になった人は、「安全」を最優先する。
他には、公務員。
コロナ対策で仕事が増えたとしても、給与には一切影響しない人にとっては
「安心」こそがなによりの価値である。
あとは、例えば、年金受給者。
コロナの脅威が一番深刻な高齢者は、誰よりも「予防」を大切にする。
そして、例えば、マスコミ関係者。
コロナ禍によって広告スポンサー料が軒並み減ってはいても、
マスコミの本質は「世間にある不安を伝える」こと。
「なにも起こらない」よりも「なにかが不安を醸成している」ことを
彼らは常に期待する。

このように、世間を以前通りに戻さなくても問題ないと感じる人が、この社会には多くいる。
それがどれほどの割合なのかはわからないが、
声の大きさは人口に比例するわけでもない。

社会的に大きな変化があった際、
打撃を受けるのは、個人や小さい集団からで、
大きな集団に守られている人々が脅かされるのは一番後である。
日本の就業者に占める「サラリーマン率」は、
昭和20年代には20%、30年代には30%、40代には40%と、
昭和年代とともに上がっていった。
また、社会学者の小熊英二は、
この20年で、地方の多くの「個人事業主」や「第一次産業従事者とその家族」が、
そのまま、「非正規雇用者」へと移行したことを指摘した。
商店主や農家のような、個人でリスクをかぶる人の頭数が減れば減るほど、
社会に対する個人の声はあがらなくなる。
大きな組織の中で働く人々は、なにごとにつけ決定するのは、自分以外の誰かであり、
自分の意見や行動が、社会のルールや流れを変えることはできないと考えるようになる。

欧米では、ロックダウン中に抗議デモをしたり集会を開く人がおり、
それによって感染が拡大したこともあったが、
それを愚かなことと糾弾することは簡単である。
しかし「個人の自由」と「社会の秩序」は常につばぜり合いをしながら
バランスを保つものである。
個人が黙ってしまえば、社会は「秩序」の名のもとに、個人の自由を制限する方向に動く。

先日、「GO TOトラベルキャンペーン」を岩手県知事が
「失敗といっていいと思う」と発言し、批判が相次いだり、
逆に、その効果を証明するネット記事が上がったりしていた。
沖縄のような医療体制の脆弱な地域では、迷惑な政策でしかなかったかもしれないが、
お客が来ないことで生活の糧がなくなる人が大勢いるのも、また事実である。
それぞれの施策は、
今、現時点で何を重要視すべきかを議論しながら決めていけばいいが、
その際、この国が「行政」と「大企業」によって
栄えてきたわけではないことは忘れてはいけない。

この国の、生活の安全や地域の治安は「行政サービス」ではなく、
一人ひとりの考えや価値観の総体である「世間」によって担われてきた。
経済においても、GDPの80%は中小企業が背負っている。
他国に比べて教育における公的負担が少ないことは時に批判の的になるが、
この国は「公」に頼らない各地域の「私教育」によって、高い教育を担保してきた。
縦に長い国土は異なる気候・風土を生み、
江戸時代の諸藩制度も相まって、地域ごとに多様な文化を生んだが、
その多様性が、同質的な民族が多数を占めるこの国を根底で支えてきた。
日本には、民主主義を一から育むような「個の自立・独立」は育たなかったが、
同質的な性質の割りに、それぞれのガラパゴス化を放置する傾向にあった。
つまり「Winner Takes All(勝者総取り)」で、
集団を一元化する形を好まなかった。
小さな集団を生かす状況を保ってきたのだ。

今後、どこかのタイミングで自粛を緩める議論をしなければならないだろうが、
その際、自粛を盲目的に優先させて、
個や小さな集団で生きる人達の体力を奪ってしまえば、
個で生きられなくなった人たちは、非正規雇用として大企業や行政に回収されるだろう。
そうして個の頭数を減らし、大集団だけを大きくしたとしても、
日本の多様性を根底で支えている集団はへばり、国力は下がるばかりである。
コロナ対策が長期戦であるのなら、長期的な視点で判断する必要があるだろう。