第三の波

パソコンを使うようになって、漢字が出てこなくなった。
そう嘆き続けて10年ちょっと。
そう嘆きながらも、パソコンを辞める気はさらさらないので、
漢字は、今も、現在進行形で忘れ続けている。
もう、「鬱」もかけなくなってしまったし、
「蒟蒻」も「鸚鵡」も、「躑躅」でさえもパソコンの変換機能がないと手が動かなくなってしまった。
パソコンを使う前からもともと書けないだろという話もあるけれど、
その可能性は考えないことにする。

現代は、ほとんどの人がケイタイでメールを打っており、
これまでの歴史上で、一番、人々が文字を書いている時代(「最多文章化時代」)だ。
そして、人々が文字を書けば書くほど(正確にいうと、ケイタイで打てば打つほど)、
ケイタイの中の「書き言葉」は、「話し言葉」に影響を与え、
「話し言葉」の代表格である「方言」などは、
だんだんと隅に追いやられている。
方言は、イントネーションやアクセントなど、音との親和性が強い言葉なので、
文字との相性が悪く、ケイタイの中では生き残れない。
若い人がライン上で”話せ”ば話すほど、
方言は、土地の年寄りとともに、深い眠りにつくしかなくなるのだ。

方言は、これまで何度もメディアによって隅に追いやられてきたが、
今回は、もしかしたら、とどめになるのかもしれない。
第一の波がやってきたのは、「本」や「新聞」によるもので、
皆が文字をたくさん読むようになったことで、
みんなの頭の中に、日常の「話し言葉」とは違う、「書き言葉」が居座るようになった。
ただ、この時代はまだ、「書き言葉」と「話し言葉」はまったくの別物だったので、
方言に、そこまでの影響はなかったと思われる。
その後、第二波として、「ラジオ」と「テレビ」がやってきた。
メディアから流れてくる「標準語」は「話し言葉」の一種であり、
その土地々々の「話し言葉」であった方言は、だんだんと侵食されていった。
そして、現在は、ケイタイで皆が文字を打ちまくる第三の波に巻き込まれている最中。
みんなが、”話す”ように、ケイタイに「標準語」を打ち込むようになったことで、
それまで受け身でしかなかった標準語を、しっかりと身につけて始めている。
方言は、ひっそりと「終焉」に向かっているのかもしれない。

時代とともに、終了していくものや、消え去ってしまうものには、
記念碑や墓碑を建てて偲ぶしか方法はない。
古語が和歌の中に生き残り、現代の僕らにも味わえるように、
どこかに文字か音として残しておけば、未来の誰かが方言を味わえるかもしれない。
文字と方言はもともとの相性が悪いので、やはり音。
YouTubeにでも、方言のアーカイブス誰か作っておいてくれないかな。