興味本位

オーストラリアのエアーズロックが登山禁止になった。
オーストラリア中部の世界遺産地区にある巨大な岩は、
先住民にとって聖地にある岩で、ウルルと呼ばれ、
長い間、先住民たちは、登山の禁止を訴えていたという。

ある歌人がこのニュースに関して思い出をつづっていた。
高校生の時にウルルに親と登ったその歌人は、
登る前に、現地のガイドさんに歴史やレクチャーを受けたのだが、
「本当は登ってほしくない」とポツリと漏らされたという。
その言葉に、なんだか申し訳ない思いで一段一段を登った思い出のあるその人は、
今回の決定に肯定的で、ウルルは部外者が登るところではなかったのだと言う。

「本当は登ってほしくない」という思いがありつつガイドをしていた人は、
もしかすると先住民の血を引く人だった可能性があって、
先住民として聖地を守りたい気持ちがありつつも、
日銭のためにガイドをしなければならない現状が、
より複雑さをましていたのかもしれないと、その人は振り返る。

世界遺産や観光地になるような場所では
そういう葛藤がどこでもあるのではないかと思う。
屋久島に登った時も、現地のガイドが、
樹齢何百年の木々の根っこが露わになっているところを指して、
「本当はこんなにたくさんの人が登っていい状況じゃないんですけどね」
と、こぼしていた。
「たくさんの人」の中の一人である自分は、
そうした現状に複雑な気持ちになったが、
一日に登れる人数の制限を模索しているとの話も聞き、
是非そうしてほしいと思った。
もうだいぶ山の中腹部まで登ってしまってるわけだし。

大学の時、友達とニューヨークに行った際、世界遺産ではなかったが、
同時多発テロがあった「グラウンド・ゼロ」に行くことを予定していた。
当時はまだ記念碑も建っておらず、文字通りグラウンド・ゼロ(爆心地)に、
たくさんの献花がされている状態だったが、多くの観光客はその地を訪れ、
そこであったことを想像していた。
世界的に大きな事件であっただけに、たくさんの人が訪れていたし、
僕もどんな場所であのような事件が起こったのか見てみたい気持ちがあったのだが、
友達の一人が急に、「行くのやめよう」と言い出した。
え、ニューヨークにまで来てるのに見ないの?と、
長崎に行ったら一応出島を、北海道に行ったら一応時計台を見るような僕は思ったが、
「たくさん人が死んでんだし、関係ない人が行くとこじゃないよ」と言われ、
断念することになった。

彼女がどういうつもりでそう言ったのかはわからないし、
広島や長崎の原爆資料館など、
悲惨なことがあった場所に多くの人が訪れて
事実を見つめるという機会はあっていいとは思うが、
確かに僕らは観光客気分で、そこに行きたい気持ちは、
興味本位でしかなかった。
それは、ウルルに登る人や屋久島に登る人と同じで、
その観光地が有名で、話のネタにもなりそうだから
行って損はないだろうくらいの軽い気持ち。

旅とはそういうものだと言われればそうだし、
グラウンド・ゼロに行って、
無くなったビルを見上げることが故人を冒涜する行為にはならないだろうが、
その子の感覚は、まっとうだなとも思った。
人ん家に土足であがるもんじゃないし、
それが土足かどうかは相手が決めること。
まだ、人が死んで間もない時に、その場所でどう振る舞えばいいかは、
外国人の僕らにはわからない。
チャールズ・ディケンズの「クリスマスキャロル」に出てくる幽霊は、
死んだ後も、結構現世での細かいおこないを引きずっていたし、
そもそもキリスト教の世界では、
現世での行いの一つひとつが、最後の審判に直結する。
幽霊への配慮の仕方も、日本的な感覚とはずれていることだろう。
僕たちはグラウンド・ゼロを諦めることにして、
ブロードウェイのミュージカルを見にいくことにした。
内容は覚えていないが、下半身をまるだしにした男が8人、笑顔で踊っていた。

ウルルへの登山が禁止だというニュース記事の最後には、
このことで観光客が減る恐れがあり、
先住民への配慮と観光の両立が求められるとあった。
地元にとって観光は大切な資金源であるだろうが、
だれかの尊厳を傷つけてまで続けるようなことではないだろう。
時代が経るにつれて先住民の子孫の立場や感覚も変わるので、
そこに配慮していくしかないのだと思うが、
今は、経済が大切な時代。
必要以上に、金を稼ぐことを重要視してしまう。
ただ、そこで間違えてはいけないのは、
観光客はないがしろにしても問題ないということ。
ウルルに登れなくなった観光客は屋久島に行くし、
屋久島も登れなくなった観光客は、富士山に行くだろう。
そのうち、月にだって行く。
興味本位で訪れる人達のことはあまり考えなくていい。
優先順位は、間違えずに。