舎弟

最後に「舎弟」という言葉を聞いたのはいつだろうか。
以前は「兄貴」とセットで舎弟がいたが、今や自ら「舎弟」の位置に自身をアイデンティファイする人はいなくなった。
今は、ひとりひとりが「主人公」の時代である。
誰かのサブ、誰かのサポート、誰かがあっての自分という立場で自分を規定することはないし、そういう人はいない。
「妻」である前に「私」であり、「親」である前に「私」なのだ。

そんな時代において、どこかのプロフィール欄に、「○○の舎弟」と自分を規定している人がいたら一周回って面白いと思うが、「舎弟」がまだ「生きていた」過去の時代に、本当に舎弟としてのアイデンティティだけで生きているような人がいたら、「兄貴がいてのお前なら、お前の人生はどこにあるんだ?」と思ってしまうのだと思う。
プロフィールに「舎弟」と書く面白さは、一周回ったことの面白さでしかない。

ただ、舎弟が、「兄貴」を前提として自分を存在させていたように、「会社での役職」や「SNSのフォロワー数」や「出来の良い私の子ども」という自分以外のものを前面に出すことで自分を存在させている人は、現代にも数多くいる。
「兄貴」をメイン、自分をサブに置くように、「会社での役職」「SNSのフォロワー数」「出来の良い私の子ども」を前面に押し出すということは、自分を「サブ」に追いやることである。
そういう人を目にした時には、「舎弟」と会った時同様、「お前の人生はどこにあるんだ?」と心の中で問うてしまうだろう。

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この記事を書いた人

はじめまして慶虫です。西日本で高校生相手に教育系のしごとをしています。 日々、考えたことを書いています。

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