蛙の子はオタマジャクシ

脳科学の本を読んでいたら、
今後、教育の分野で脳科学研究が進んでくると、

勉強ができる/できないが、
子どもが小さいうちから判断できるようになるだろうという内容が書いてあった。
脳をより分析的に判断できるようになると、
どういう分野が得意でどういう考え方が不得意なのか、
幼少の頃から判断できるという。
それはこれまで「氏か育ちか」と、
能力の出来不出来を先天的なものと後天的なもの、
どちらに由来するかで割れていた議論を終わらせるものかもしれない。

なんの訓練もしていないのに人よりバランス感覚のある子や柔軟性が高い子がいるように、
なんの訓練もしていないのに計算の得意な子や記憶力のいい子がいるのは事実だが、
その理由を幼少期の環境や育て方ではなく、
もともとの脳の一部分の出来に求めるようになると、どうなっていくのだろう。
もし、今後本当に「生まれつき」という、
先天的な要素がものをいうようになれば、
それは、教育に携わっている人にしてみるとけっこう「不都合な真実」で、

後天的な努力(教育)の必要性を無化してしまう。
生まれつきの頭(体)のできの優劣がデータで明らかになれば、
子どもたちも、勉強する気が失せてしまうだろう。

これまで「努力は報われる」という言葉に期待を寄せていた人たちも、
科学的結果の前には、沈黙するしかない。

もしも、今後、僕らが思っていたよりもはるかに
「頭の良し悪しは生まれつきの要素が大きかった」ってことを科学が実証してしまった時、
僕らが考えるべきことの一つは、
「頭の良し/悪し、スペックの良し/悪しって、そんなに大したことか」
ということだろう。

学校の勉強にしろ運動にしろ、できるに越したことはないが、
幸い、ほとんどの社会は、スポーツ界のような世界ではない。
その業界のトップ選手でなくても会社から解雇されたりしないし、
会社を日本一や世界一に押し上げなくても、簡単につぶれたりはしない。
スペックの高い集団だけが、生き残って、
残りは全員死ぬわけではない。

世間には、51歳で、高校教師からロボット開発者になった小柳栄次という人がいて、
この人は、レスキューロボットで争う世界大会で二連覇した後、
現場から請われて、実際に災害現場に入った。
しかし、そこで、まったく自分のロボットが役にたたなかったことに愕然とする。
それまで性能の良いロボットを作ろうとしていた彼の考えは、
「最先端の技術でなくてもいい。結果が最先端なら、それでいい」
というものに変わったという。
最先端の技術を搭載した、高性能のロボットであっても、
現場で使えなければ、災害ロボットとしての意味がない。
「現場で使える」というのは、レスキューの作動中にロボットの部品が壊れても、
近くのホームセンターで買った材料で、すぐに修復できるってことだ。
人間も同じで、スペックだけを高めていっても、
誰の役にも立たないのなら、そのスペックにはあまり意味がない。

今後、能力のあるなしに、「生まれ」が大きく関わっていることが明らかになるかもしれないが、

それはそれとして、その”低い”能力でもできることを考えればいい。
自分はできると思っている人より、
自分はたいしたことができないと思っている人の方が、

誰かの役に立つことは多いはず。
スペックをそんなに過大評価してはいけない。