谷川俊太郎『これはすいへいせん』


『これはすいへいせん』谷川俊太郎・著 / tupera tupera・イラスト

 

意味を理解するためだけに本を読むわけではない

大人は忙しさを好む。
忙しくないと、大人の一員として社会的義務を果たしていないように思えるのか、誰しもが忙しいふりをしている。
私が同僚にものを頼むために、「少し、時間ある?」と尋ねるところ、誤って(というか、わざと)、「今、暇?」と聞いても、「はい、暇です」と言う人は、まずいない。たいてい「暇に見えるか?」とか「忙しいに決まってるだろ」と言われる。
「私は暇だ」と答えることが、まるで罪悪かのように、誰もが、報告書のための報告書を書いてみたり、誰も読まないメールの様式を整えてみたり、忙しくしようと頑張っている。

子どもより忙しい大人たちは、報告書を読んだり、インターネットの記事を探したり、できるだけ短い時間で、文章や記事に書いてあることが何なのか、その話の内容(意味)を把握しようとする。
何かを読むということが、そのまま、文章の意味を理解することだと思っている大人たちは、本を読む際にも、短い時間で、文章の意味をつかもうとする。文字情報を理解すること。
それが、大人にとって、「わかる」ということなのだ。

一方、子どもは、大人と違い、本を読む際、話の意味だけを追っているわけではない。絵本を読む時は「絵」を読み、文章を読む時は、文のリズムや温度を感じている。
文字の意味や論理以外の部分も、ビビッドに感じているため、忙しい大人にとってはひどく退屈に思える、単純なストーリーの童話や、リフレインが多用されて話がなかなか前に進まない絵本も、簡単に受け入れる。
子どもたちは、そんなに急いて生きていない。

谷川俊太郎さん作の絵本『これはすいへいせん』は、
「これはすいへいせん」という言葉から始まる「つみあげうた」で、
「これは すいへいせん」
「これは すいへいせんから ながれてきた いえ」
「これは すいへいせんから ながれてきた いえで ひるねしていた おじいさんの ガブリエル」
と1ページずつ、前の文章に新しい文章が足されていき、段々と全体の文章が長くなっていく。
(谷川さんは、「これはのみのぴこ(絵:和田誠)」などの本でも、同様のつみあげうたを書かれている)

ページをめくるに従って、どんどん文章が長くなっていくのだが、毎ページ毎ページ、同じ文章を繰り返して読む必要がある。
こういった絵本や言葉遊びの本を大人が読む時は、いつもと違う頭に切り替えないと、大人は、それを「読む」ことができない。いつもの頭では、文章に書いてある意味を早く掴もうと、先へ先へ、ページをめくってしまい、絵本はあっという間に最後のページになってしまう。
絵本は話の展開を楽しむものではなく、絵と文章で作り出される世界そのものを味わうもので、美術館で絵画を見る時のように、その絵本自体を、しっかり受け入れる必要がある。