郷に入っては郷に従え

少し前のテニス全豪OP。
錦織はベスト4を前に途中棄権し、
またも4大大会優勝はお預けとなってしまった。
大坂なおみは、生涯グランドスラムも視野に入りそうなプレーで優勝し、
世界ランキングでも日本人初のトップを奪取した。

錦織をはるかにしのぐスピードでランキングをかけあがった大坂だが、
父親がアメリカ人、母親が日本人で、
22歳になるまでに日本かアメリカかの国籍選択をする必要に迫られているのだという。
今のところ、日本のスポンサーへの恩や母親の影響もあり、
日本代表として東京五輪に出たいという思いがあるらしいが、
彼女がアメリカ国籍になったら、
日本の人はぱったり大坂を応援しなくなるのだろうか。

人が誰かを応援するというのは、
なんらかの形で相手に親近感を持っているということで、
まったく面識がない高校球児でも、地元の人は「県の代表」として応援するし、
日韓ワールドカップの時にやってきたカメルーン代表のように、
国籍や見た目がまったく違う選手たちでも、
世話をしたり交流したりした経験があれば、人は応援する。
もし、宇宙人が襲来してくれれば、
アメリカ人であろうがセネガル人であろうが、
地球人というだけで、僕らは宇宙人に立ち向かう地球人を応援するが、
それは当然のこと。

もちろん「親近感」にはグラデーションがあって、
言葉や見た目、しぐさなどの外面的に判斷が付きやすいものから、
国籍や出自、生い立ちなど、見た目からは判斷できない要素もある。
大相撲では常に日本人横綱を待望する人たちが一定数いるが、
外国人力士であっても、日本文化を尊重し、相撲道に邁進しているように見えるならば、
見た目に関係なく、たいていの日本人は受け入れる。
横綱や大関昇進の儀式で、羽織袴の外国人力士が深々と額を床に付けて、
普段日本人が口にしないような難しい日本語で抱負を述べる姿は印象的なシーン。

服装、言葉、振る舞いなどによって、
見た目が自分たちに近くない人であっても、
人は親近感を感じたりするわけだけど、
要素としては、その中でなにが一番大きいのだろうかと、考える。

大坂は米国生活が長く、日本語がつたないので、
「言葉」という点では親近感を感じにくいが、
彼女のシャイな言動や振る舞いに親近感を感じる日本人も、
それなりにいるのだろう。
逆に、日本語が堪能なのに、米国暮らしが長く、
仕草や表情、立ち居振る舞いが完全にアメリカ人だったりする日本人アスリートを見ると、
自分たちとの「共通点」よりも、「差異」の方が目についてしまう。

社会が移民を受け入れる際、もっとも重要なのはもちろん「言葉」で、
仕事をさせるにしても、近所付き合いをさせるにしても言葉は必須なので、
言葉を覚えさせるということが、まず、”第一”の要件になる。
しかし、外国人力士が日本の相撲のしきたりに従って羽織袴で頭を下げることは、
社会に受け入れられるためには、
言葉だけでなく、振る舞いや服装も大事だということで、
それをまとめて言うと、「郷に入っては郷に従え」という言い方になるのかもしれないが、
日本の場合、「郷に入っては郷に従え」と同時に、
「郷に入っては郷を好きになれ」と要求しているようにも見える。

日本人は、日本のことを好きな人を邪険に扱わない。
日本のアニメが好きな外国人や、日本の伝統文化に魅せられた外国人を、
日本を好いているという理由だけで、全面的に受け入れるところがある。
それは、他の国でも同じだろうと思うかもしれないが、
外国人が自分たちの文化に憧れるのは当然だと思う国の人々もいるし、
国を好きになるよりも、納税などの義務をしっかり果たせよと、
移民に求める国もある。

日本は、どの国よりも「日本論」が盛んだとも言われており、
自分たちがどう見られているかに必要以上に興味を持っている。
相手に好かれたいという意識が強いのか、
自分を好きな人たちにはめっぽう優しいところがある。

「改正入管法」の成立で、アジアなどから日本に入ってくる人は今後増えていくが、
その人々を、日本社会にどう溶け込ませるかは、急務の課題だ。
外国人向けの研修では、言葉を教えるだけでなく、
ゴミの出し方や買い物でのマナーなど、日本社会のイロハを教えているようだが、
大切なことは、言葉や振る舞いを覚えるだけでなく、
日本を好きにさせること、そして、彼らが日本を好きなのだと表明することだということも、
忘れてはならない。
特に、仕事をして稼ぐためだけにこの国に来ている人たちの中には、
日本を好きになろうなどという意識は、微塵もない可能性がある。

「郷に入っては郷に従え」という中国で生まれた言葉を、
本国よりも大切にしてきたこの国では、
個人個人の個性や文化の多様性ではなく、
「郷」の方を、まず大事にする。
それが「ゴミ捨てのルール」であっても「日本フィギュアに対する愛情」であっても、
「郷」で行われたり作られたりするものに対するリスペクトを示すことが、
この国では大切。
これから日本社会が国際的になっていく過程で、
日本人は、他国の人々との付き合いを通して、
多文化への敬意や理解を学ぶのだろうが、
同時に、外国人に対しては、言葉にされていない日本のルールや日本人の性質を、
言葉にして伝えていくことが必要になってくる。
これから、学び合いであり、学ばせあいだ。