10代の競技人口減少

オリンピックが終わった。
オリンピックの開催自体の是非が最後までつきまとう大会だったため、純粋にスポーツの面からだけ語れる大会ではなかったが、スポーツ好きとしてはスポーツの大会としての話をしたい。
(ちなみに、僕は、オリンピックが政治利用されてきた歴史を踏まえて、以前から、アスリートはオリンピックを重要視せず、他の世界大会を最重要視する方向に進んだ方がいいと思っています)

今回の大会を振り返った際、一番に思いだすのは、女子バレーボールの敗退である。
日本が史上最高の金メダル数を獲得した大会だったのに、負けた記憶を思い出してしまうのは、弱者に思いを馳せる老人に近づいた証拠だろうか。
(それにしても、国ごとのメダル数を数えるっていうのも、もうだいぶ時代に合わなくなってますね)。

「勝てば官軍負ければ逆賊」
結果が如実に表れるスポーツにおいては、勝った選手が持ち上げられ、負けた選手がこき下ろされる。
それは選手だけでなく、指揮官も同じで、今回、結果を出した柔道、卓球、ソフトボール、女子バスケットの監督は名将と騒がれ、結果がついてこなかった女子バレーボール、女子サッカー、(一部)水泳陣のコーチは戦犯扱いされている。
国を背負うというのはそういうことなのかもしれないが、結果とはちょっとしたことで変わるものでもある。
結果が出なかった指導者には、同情を禁じえない。

オリンピックのような大会で良い結果を出すことは、選手や指導者だけに恩恵がもたらされるわけではない。
その競技自体の底上げにつながり、競技人口の増減にもつながるのだから、競技界全体の問題である。
短期的なスパンで見れば、今後数年で、今回のオリンピックで躍進した女子バスケットの競技人口は増え、逆に、バレーボール人口は減ることが予想される。
特に、将来の競技人口を担う10代の競技人口の変動は、今後を大きく左右する。
そういう意味では、オリンピックのような派手な大会は、個人選手の檜舞台という側面だけで語れない部分がある。

そんなことを考えていると、ここ10年の中高生の競技別人口がどう推移しているのか気になり、調べてみることにした。
そこでわかったことは、まず、この10年、子どもの総数が減り続けている中でも、競技人口を伸ばしているのが、バドミントン、陸上、(女子)卓球であるということだ。
特に、バドミントンの伸び率は顕著で、女子でも男子でも数値を伸ばしている。
逆に競技人口を減らしているのは、男子ではダントツで野球、それにバスケットやテニスが続き、女子では、バレーボール、バスケット、ソフトボールが上位に位置する。

野球、バレーボール、バスケット、ソフトボール離れ。
つまり、この10年(もしくは20年)で10代に起こったことは、「チームスポーツ離れ」である。
多くの若者がチームスポーツを離れ、バドミントン、陸上、卓球といった、シングルもしくはペアでプレーする競技に移ったのだ。
もちろん、10代男子で最も人口が多いのはサッカーだし、10代女子で最もプレーされているのはバレーボールである。
その意味で、若者がチームスポーツに完全に背を向けているとは言えないが、確実に足元は削られている。
このままいくと、試合をするのに5人や6人や9人も必要なチームスポーツは、早晩、スポーツにおける花形の座を追われるかもしれない。

ただ、そうした「チームスポーツ離れ」を生み出す若者の心境の変化は、なにも部活動に対してのみ起こっているのではない。
集団のために規律を守ったり、他人に気を使って生活したくはないし、できるだけ自分の努力は自分の結果として受けたい。
そうした意識は、部活動以外でも見て取れる若者の特性である。
部活動に限らず、若者は、個人化しているのだ。

しかし、その思うのは当然であろう。
例えば、今回のオリンピック前に、島根県の高校野球のチームが甲子園予選に出れなくなったという騒動があり、その失格理由が、野球部にまったく関係ない学校関係者が一人コロナに感染したからというニュースがあった。
その理不尽な失格理由に世間から多くの反発が起こったため、一転、チームの予選参加は認められたが、この世間とズレた「集団責任体質」が、若者の野球離れを加速させる一因になっている。
また、そうした体質は野球に限らず、他のチーム部活動も多かれ少なかれ有している。
今の中高生にとって、「チーム」や「集団」は、責任が大きい割に充実感や結果を得られないものになっているといえる。

加えて、特に、野球、バレーボール、バスケットボールという、若者競技人口が最も減っている競技の共通点を考えてみると思い浮かぶのが、「監督のうるささ」である。
特に、部活動としてのこの3競技には、いつも監督が怒鳴りながら選手に指示を出しているイメージがある。

高校スポーツをテレビで見ていると、バスケットボールは、ベンチから常にコーチの怒声が聞こえるし、バレーボールも、すぐにタイムアウトがかり、コーチの具体的な指示と精神論が飛んでくる。野球は、努力と根性をユニフォームの泥で表現するスポーツだし、一球ごとに監督のサインを確認しなければならない(それに、監督がなぜか選手と同じユニフォームを着ている。あれは早く誰か変だっていってあげたほうがいい。他の競技では誰も同じユニフォームなんて着ていない)。

しかも、その一方的な(時に恫喝のような)大声は、中学・高校のゲームだけでなく、オリンピックのような大人の試合においても見られる。
国を代表する選手たちが集まったチームに対しても、指導者が上から、プレーに対して声を荒げている(野球もこまかく一球ごとにサインを出している)。
それは競技の特性上、しょうがないのかもしれないし、そういう競技と言われればそうなのだろう。
サッカーの監督が細かい指示を出したくても、フィールドも広く、タイムアウトも取れないために、本当はガミガミ言いたくても言えないという、環境やルールの違いによるものなのかもしれない。

しかし、それを差し引いても、指導者が大の大人に「やいのやいの」いう光景は、選手に対するリスペクトを欠いているように見えるし、選手の自主性を軽んじているように映る。
私が今回のオリンピックで気にかかり、ここ8年ほど女子バレーボールに対してずっと感じているのは、その点である。
バレーボールの日本代表は、(竹下以来)、誰一人として、自分で判断し、責任を負うような「大人」の顔をしていない。
どの選手も、ベンチからの指示をコートで正確に表現することを第一に考える、「春高バレー」の選手のように見える。
それに対して、ベンチの監督やコーチは大声を出しながら、自分がチームをコントロールしているかのような顔をしている。
しかし、本来、その顔をしなければいけないのは、コート上のキャプテンかセッター、もしくはエースアタッカーである。
試合が始まれば、チームを動かすのは選手たちであるべきであろう。

指導者が「やいのやいの」言い、選手が唯々諾々とそれに従う競技に比べて、目下、10代の競技人口を伸ばしている、バドミントン、卓球、陸上の試合を見てほしい。
そこには、怒鳴る指導者も、細かい指示を出す指導者もいない。
バドミントンの試合でも、卓球の試合でも、陸上の試合でもそうだが、まず、テレビにほとんど指導者が映らない。
そして、桃田も奥平も、石川も伊藤も水谷も、大迫も桐生もケンブリッジも、皆、自分で考えて最善のプレーを選択し、変化する状況の中で適切に心をコントロールしている。
年齢に関係なく、彼ら彼女らは、「大人」の顔でプレーをしている。
勝っても負けても、結果責任を背負う「大人」としての姿を見せている。

数年前の「日大アメフトタックル事件」以来、スポーツの場でのパワハラに対する目は厳しくなった。
しかし、それはスポーツの場において、子どもを怒鳴ったり、手を挙げてはいけないといったレベルの話ではなく、指導者が子どもを支配したり、指導者の理想のために子どもを駒として扱ってはいけないということを意味していたはずである。
それは、スポーツに限った話ではなく、子ども達を教えるすべての現場に共通することでもある。

10代の競技人口を減らしているチームスポーツに関係する大人たちはこのことをよく考えるべきである。
ここ10年、チームスポーツの中でサッカーだけが唯一、10代の競技人口を減らしていないのは、サッカー日本代表の吉田が、遠藤が、田中が、富安が、「大人」に見えるからである。
ピッチ外で彼らが(パーソナリティとして)「大人」なのかどうかは知るよしもないが、少なくともサッカーの試合の中では、彼らは、監督の顔色を伺って指示に従うだけの「子ども」ではなく、自分で考え、自分で責任をもってプレーする「大人」である。
日本のサッカー界は、「大人」を育てることでしか世界で勝てないことを、この数十年で学んできた。
だからこそ、育成段階から「大人」を育てることが大事だという共通の意識を持っている。
そのことに早く気づき、競技界全体の意識を変えた競技だけが、10代の若者をつなぎとめることができるのだ。
サッカーは気づいた。
次に気がつけるチームスポーツは、どの競技だろうか。