1/18 曖昧な対義語

「平和」の対義語は、「戦争」らしい。
戦争は「できごと」、平和は「状態」だと思っていたので、
対義語だと知った時は、驚いた。
平和から離れることが、そのまま、戦争に近づくことになるとは、
「平和」な国で育った僕には思えなかったし、
「戦争」というのは、戦車と戦闘機を使うものだと思っていたので、
夫婦など、個人的な関係に、「戦争(状態)」が在るなどとは知らなかった。

対義語にはけっこうバラエティがあって、
きれいに「対」になっているものもあれば、
国や文化によってペアが変わってくる曖昧なものも多い。
「黒」の対義語は「白」らしいが、
「白」のペアは「紅」でもある。
「甘い」の対義語は、「辛い」でもあるが、
「苦い」でも、間違いではない。

対義語は、「対立」概念だと思われているが、
考え方としては、「補完」概念の方がしっくりいく。
一方の極に「平和」があり、
もう一方の極に「戦争」があるのではなく、
「平和」と「戦争」が補完しあって、全体を形作っている。
「陰」と「陽」合わせて「全体」とする、「太極」の教えだ
(韓国の国旗に使われている、勾玉を合わせたみたいなやつ)。
二つ合わさって「全体」だとしたら、
「平和」を知るためには、「戦争」も知らなければいけないし、
「善」を知るためには、「悪」も知らなければならない。
その「平和」と「戦争」を、
「仲良し」と「ケンカ」に置き換えると、
たぶん、誰でも日常で感じていることで、
「仲良し」しか経験していない関係よりも、
何度も「ケンカ」をした後でも「仲良し」でいる関係の方が、
より「仲良し」だということは、皆が知っている。

学校のテストでは「父」の対義語は「息子」で、
世間の常識では「嫁」の対立的概念は「姑」だが、
それらは本来、「対立」する二つではなく、
「補完」しあう二つだったはずだ。
対義語に、きれいな対義語と、曖昧な対義語があるように、
たぶん、世の中の「対立」にも、
どうしようもなく真っ向から敵対している、「きれいな対立」と、
本当は補完しあっているのに立場上だけで敵対している、
「曖昧な対立」があるのだと思っている。