1/5 「問題発見 問題解決」

「問題発見 問題解決」
僕が通っていた大学(キャンパス)のスローガンの一つが、これだった。
今までの大学は、問題を解決するための力を重視してきたが、
これからは、自分で問題を見つけ、自分で解決しなければいけない。
そういう問題意識があって作られたものだったと聞いた。

あれから十年ほど。
その考え方自体は、その通りだと思うし、
教育としては、自分で問題を見つける必要性は増していると思うが、
社会的には、「問題」は出尽くした気もしないではない。
経済格差問題
高齢化・少子化問題
都会と地方の問題
働き方の問題
エネルギー問題

いまは、問題はたくさん出揃ったのに、
その解決法が見つからず、
社会が閉塞してしまっている時代のような気もする。

問題(問い)はわかるが、解決方法(答え)が見つからない。

ただ、2011年に大震災が起こり、日本が原発問題に揺れていた時、
誰もが「これから原発はどうすべきか」という
「原発”問題”」を考えている中で、
解剖学者の養老先生は、
それは、「問題」ではなく「答え」だろうと、一人、言っていた。
みんなは、「問い」として
「Q:危険性が露呈してしまった原発はどうすべきか」
と言うが、
それは問いではなく、答えだ、と。
何かしらの「問題(問い)」が先にあって、その「答え」として、
「A:原発の危険性が露呈してしまった」
がある。
3+2=?の?を考えるのではなく、
5=?+?の?を考えるべし。
それは、過去に遡って、その根本を考えろということかもしれないし、
目先の対処療法で済ますなということかもしれない。
そう考えてみると、
出揃ったと思っていた社会の問題は、
本当は、「問題」ですらなかったのかもしれない。

Youtubeに批評家・小林秀雄の講演録がいくつか落ちている。
講演後の質疑応答で、学生から、
当時、世間で騒がれていた時事問題について尋られた小林秀雄は、
その質問にまったく答える気を見せなかった。
それは、その質問が、学生にとって、本当の「問い」」ではなかったからだ。
個人的でない「問い」に、切実さはない。
世間でもてはやされている「問い」に飛びつくのは簡単だが、
切実でない「問い」に、本当の「答え」はない。
「個人的に問題を発見し、解決しろ」と小林秀雄は言う。

「問いを君は発見したまえよ
 覚えてばっか、いなさんな」
学生にそう、叱咤する小林秀雄は落語家のような声をしている。
「質問するためには、問題がなきゃいけませんよ。
 問題をこしらえてないと質問をこしらえることはできませんからね」
そうイヤホンを通じて耳元で囁く小林秀雄の声は、
どことなく5代目志ん生師匠に似ている。
なぜ、小林秀雄と志ん生の声は似ているのだろう。
年代が近いからだろうか。
江戸っ子だからだろうか。
「Q:なぜ、小林秀雄と志ん生の声は似ているか」
これは、僕が個人的に発見した「問い」だ。
切実ではないが、世間でもてはやされている「問い」でもない。
自分で見つけた「問い」の「答え」は、
自分で見つけ出していくしかない。
こんな「問い」、誰も興味ないだろうしね。