平成もあと少し。
2018年も残すところあとわずかということは、
2010年代ももうすぐ終わるということ。
2020年には東京オリンピックがあるが、
この前、壇上にあがった県庁の偉い人が「2020年東京オリンピック」を
「2020円、東京オリンピック・・・」といい間違えていた。
「年」と「円」のいい間違えはよくあることかもしれないが、
「2020年」と「2020円」は全然違う。
「2020円」は、簡単にATMからおろせるし、
必要とあれば人にあげれる額だが、
人類が生きてきた「2020」年間は、
簡単にATMからはおろせないし、人にあげることもできない値だ。
「2020年」に、人類が生きてきた重みが乗っているのに対して、
この、「2020円」の軽さは、なんだろう。
「年」に対する「円」が、全然、釣り合っていない。
現代社会は西暦を使用しているので、
今年のことは「2018年」と呼ぶが、
これは言わずもがな、
イエス・キリストが生まれたとされた年から換算して「2018年目」ということだ。
だが、当然、イエス・キリストが生まれる前にも、人間の営みはあって、
ソクラテスが今のアテネで、毒としりつつ毒杯をあおったのは、紀元前399年、
つまり、いまから「2399年」前で、
ツタンカーメンが今のエジプトで、黄金のマスクをはめて眠りについたのは、
紀元前1324年、つまり今から、「3324年」前といわれている。
人類が中国大陸で稲作を始めたのが、今から「1万年」ほど前だと言われていて、
アフリカで、旧人類が今の新人類に進化したと言われているのが、
今から、「10万年から20万年」前だとされている。
だが、それでも、人類の歴史というのは、たった「20万年」しかない。
もし壇上の人がいい間違えたら、「20万円」前だ。
人類が歩んできたこれまでの重みに比べて、
この、「20万円」の軽さはなんだ。
諭吉20枚で、人類の歴史を語れるというのだろうか
日常生活で一番使う数字の単位はたぶんお金にかんする「円」で、
二番目が、年数や年齢にかんする「年」や「歳」だと思う(自分調べ)。
人類がこれまでに歩んできた長く険しい歴史を思う時、
一番身近なお金の単位「円」があるせいで、
いまいち、我々人類が歩んできた、その積み重ねと重みが伝わらない。
今年は、明治維新から「150年」らしいが、
これを壇上の偉い人が言い間違えると、「明治維新から今年で150円」だ。
「150円」なんて、明治維新以後、この国に起こったことの多様さと重大さが、
一発で吹き飛ぶ額だ。
「150円」では、チョコパイすら買えないし、
チョコボールとヤングドーナツを買ってしまったら、もうなにも買えないくらい、
「150円」というのは、安い。
そのくらい、「円」と「年」には大きな開きがある。
子どもたちが学校で歴史を学ぶ時、
先生が「明治維新から150年」「新人類に進化してから20万年」だと教えると、
彼らは、身近な単位である円にイメージを交差させ、
「明治維新から150円」「新人類に進化してから20万円」と脳内変換して、
その、あまりの数字の小ささに、人類の歴史をなめてしまう恐れがある。
もしこれが、「円」ではなく「ドル」ならおよそ100倍だし、
「ユーロ」なら130倍だ。
ユーロ圏の子どもたちは、先生から「明治維新から150年」と言われても(言われないけど)、
なるほど、「明治維新は、150ユーロ(=2万円)くらい遠くかぁ」と思うし、
「新人類に進化してから20万年」と言われても、
なるほど、「新人類になって、20万ユーロ(=2500万円)くらいの年月かぁ」と思う。
子どもにとっての2500万円はでかい。
人類の重さを感じる額としては、悪くない。
日本の子どもたちは、日常で使う、身近な単位が「円」なのだから、
注意をして歴史を勉強してほしい。
この国が近代化していく過程は、
決して、チョコボールとヤングドーナツが買える金額で語れるものではないし、
人間の歴史は、うまい棒2万本と釣り合うものでもない。
「年」と「円」は違う。
それにはまず、壇上の大人がいい間違えしないように気をつけてほしい。