「思い込み」の種

 

ほかの人より「人と出会う運」があるんじゃないかと、
自分で思っている。
ずっと読んでいた本の著者と会う機会が巡ってきたり、
話してみたいと思っている人と、たまたまばったり街で会ったり、
いいタイミングで会いたい人に会える。

ある時、コンビニでロックバンドを題材にしたマンガを読んでいて、
そのマンガの主人公達のロックな生き方があまりに強烈なので、
頭の中で「ブルーハーツ」の「情熱の薔薇」をかけながらそのマンガを読んでいたら、
隣で、「ザ・クロマニヨンズ」のヒロトとマーシーがアイスを選んでいたこともあった。
佐賀のとあるミニストップで。
僕が頭の中で強烈に思っていると、
その人と会えるようになってるんじゃないか。
そう思うようになっていった。

「私は運が相当いい」とか、
「俺が行くと店が繁盛する」とか、
「自分は他の人よりいい星の下に生まれたんだ」と、
勝手な思い込みをしている人は世の中にたくさんいる。
その人たちのほとんどはたぶん、
そんなに他の人と変わらない星の元に生まれているのだけど、
なぜ、そこまで彼らが「思い込み」を続けられるのかというと、
普段から、しょっちゅう「思い込んでいる」からに違いない。
他の人より、「思い込んでいる」回数が圧倒的に多いのだ。

想像力が豊かと言ってもいいけど、日々の生活の中で、
「あ、もしかしたら、俺、この著者に、将来、会っちゃうかも」
「あ、もしかしたら、僕、あの娘に、明日、ばったり駅で会っちゃうかも」
と、「もしかしたら」の種を何粒も撒いているので、
その中の一つが現実になった時に、
「ほらね」と思うのだ。
「やっぱり。思った通りだ」と。
例え打率は高くなくても、何度も打席に立っているので、
「ほらね」の回数は人よりも多くなり、
「やっぱり、私は他の人より・・・」と確信は深まっていく。

普段から、未来に対して「もしかしたら」の種を撒かない人は、
現実に何か起きても、「ほらね」と思うことはない。
特別な人に会う幸運が訪れたとしても、
「普段会わない人に会った」と喜ぶだけだ。
「ほらね」と思うのは、過去に「もしかしたら」と想像して、
「この想像が現実になっちゃったら、やばいなぁ」
と想像を張り巡らせた人だけ。
そういう人は、「はずれた」想像のことは早々に忘れてゆき、
「当たった」想像だけを記憶に残して、
「やっぱり」「やっぱり」と、自己肯定感を高めていく。

最近は、情報が溢れているので、
すぐに「現実的な目」でなんでも見てしまうが、
大切なことを成就させるためには、時間がかかる。
その成就までの長い時間のほとんどは、
自分勝手な「思い込み」や「勘違い」で乗り切るしか、方法はない。
「思い込み」の種を撒こう。
そのうち、どれかは「現実」になる。
たった一粒の妄想の種を撒いて、
それが実らなかったからとへこたれるのはやめよう。
僕らは、三割打者ではない。
なるべくたくさん撒こう。
撒くだけなら、お金はかからない。

 

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