現役の高校生と以前高校生だった人に送る、素敵な本の紹介。
表題本以外の話にふらふら寄り道、
道草食いながら、あれこれお話します。
第1回『父の詫び状』を紹介するコーナーも今回で最終回。シュッと2000字くらいにまとめるつもりが、優に3倍以上書いてしまいました。申し訳ない。
では、最後に向田さんの有名なエッセイの紹介をしたいと思います。「手袋をさがす」という題のエッセイです。
出典
まだ20代前半の向田さんは、自分の気にいる手袋が見つからないという理由で、手袋なしで冬を過ごしていました。手袋をしないことがそのまま貧困を意味した時代、やせ我慢をして裸の手で過ごす向田さんはひどく意地っ張りに見えたそうです。意地を張り続けて手袋をしない向田さんに、会社の上司は五目そばをごちそうしてくれ、こう言います。
「君のいまやってることは、ひょっとしたら手袋だけの問題ではないかも知れないねえ」
ハッとする向田さんに、
「男ならいい。だが女はいけない。そんなことでは女の幸せを取り逃がすよ」
自分にぴったりこないという理由で、そこいらに売っている、程々の手袋を買えず、まあまあのもので間に合わすことができない。それは手袋だけでなく、向田さんの生き方に関わる問題でした。見渡せば周りにたくさんある、程々の物で満足できれば、人並みの幸せはつかめるだろうに、どうしてもそれで満足することができない。自分は何がしたいのか、何に向いているのかわからない中、妥協した手袋で満足してはいけないんだという、漠然とした気持ちだけが残る。
「こんな不満を持つこと自体、贅沢だとわかっていながらどうすることもできない私は、このまま一生、不平不満の人生を送るんだ」出典
そう思いつめた向田さんは、東京の四谷を歩いていた夜、一つの決心します。
「気休めの反省なんか辞めてしまおう」
会社の上司に指摘され、自分でも直そうと思っていた自分の嫌な性質を、そのまま貫いていこうと決めたのです。反省はしない。自分に合う手袋が見つからないなら、見つかるまで、絶対に他の手袋は買わない。やせ我慢を押し通して生きる、そう決めたのです。
その決心は、手を伸ばせば手に入る人並みの幸せを手放すことを覚悟した瞬間でもありました。事実、あの時代において向田さんは、最後まで、一人身でした。
ただ、人生を振り返った時に、あり合わせで間に合わせず、ないものねだりを繰り返したことは、自分の生き方そのものだったんだ、と向田さんは語ります。もしあの時、大して気に入っていない手袋で間に合わせていても、どうせつけることもなかっただろう。ならいっそ、やせ我慢してでも欲しいものが欲しいという生き方を選ぶ。亭主も子どももなく、不安定な仕事に従事する自分が幸せかどうかは言えないけれど、今も手袋をさがしていることだけは自分の財産なんだ、と。
向田さんの代表的なこのエッセイは、向田さんの人となりをよく表していると思います。これを第1回に書けば、残りの第6回はいらなかったんじゃないかと思うほどです。そんなことに最終回に気付いてしまいました。
これで向田邦子『父の詫び状』は終わります。次回はもっと、高校生に薦められるような、端正な文章でまとめたいと思います。
(読んでいただき、ありがとうございました)
–2016/06/26−