「種(しゅ)」にはいろんな考え方があるという。
見た目の違いから判断する「形態的種」、
性交できるかどうかで判断する「生物的種」、
鳴き声から判断する「認識的種」や
ある種が二種に分化したら元の種は絶滅と考えるかどうかの「進化的種」などだ。
一般的に、同じ種どうしは性交できるのが当然だと思うだろうが、
生物の住む場所が変わってくると、生態もじょじょに変わっていく。
地球の周りを移動しながら生活するある鳥などは、
生活する場所を変えるたびに生態がちょっとずつ変わり、
一周回って元の場所に帰ってきた頃には、
生態が以前とは大分変わってしまっているので、
元の場所にい続けた同じ鳥(種)の異性と出会っても、性交をしなくなるらしい。
厳密には、性交できるのだが、しないのだ。
生物学的には同じ種なのだが、お互い魅力を感じなくなる。
これを「輪状種」というが、
これは種が異なったと見るべきなのか、同じままだと見るべきなのかは、
専門家の間でも意見が分かれるという。
テレビでは先日まで世界陸上が放映されていて、
同じ人間とは思えないアスリートたちが飛んだり跳ねたりしていた。
現在も、ラグビーのワールドカップが開催されており、
同じ男とは思えないくらいの体つきやパワーを持った生き物たちが押し合いへし合いしている。
しかしどこまでいっても、彼ら彼女らと自分は同じ種であって、
種が異なるくらいに生態が変化するというのが、
どういう違いのことを言うのか、スポーツを見ていてはわからない。
人間に関して「生態が違う」と比喩的に表現する時、
それは文化の違いのことを指すが、
どれだけ文化が違っても、種が変わるわけではない。
ラグビーワールドカップで活躍している日本代表の主将リーチ・マイケルは、
高校時代から日本で過ごしているので、
日本の「部活」的な考え方が染み付いているらしく、
ジョセフ・ヘッドコーチの、欧米的な、選手の自主性を重んじるやり方に納得行かず、
何度も「もっと日本人に合ったやり方を」と、主張していたらしい。
国籍や生まれた場所が違っても、文化面では、すぐに人は適応する。
しかし、それは種や生態の話ではない。
生態が変わってしまうくらいの変化とはどういうことなのか、
誰か、鳥ではなく人間を例えに教えてほしい。
ただ、とりあえず、スポーツは、どれほど見た目や考え方が違っても、
僕らは同じ種の生き物だということを確認させてくれる。
「違い」を競い、「同じ」を確認させるのが、スポーツだ。