おめでとう

一昨日、今回で最後となる大学入試センター試験が実施された。
来年からは違う形の一斉試験がスタートされるが、
記述式問題の採用延期や民間英語試験の導入見送りなど、課題も多い。
大学へのゲートを公正にかつ効果的に開くには、
どういう方法が最適なのか、多くの人の意見を一致させるのは難しい。

大学受験と言えば、最近は、合格発表がインターネットで見れるようになっているが、
僕が受けた頃は、まだそれほどその方法が普及しておらず、
自分の足で合格発表を見に行った思い出がある。
発表された直後の学校は多くの人でごった返すだろうと思い、
後で見に行こうと街でだらだらしていたら、
なんだかんだ掲示板を見る頃には、陽が傾いていた。
校門の周りには、合格した人に不動産屋のパンフレットを一式渡そうとする
スーツの人たちがわらわらいて、
合格したであろう喜び溢れた表情の若者たちに、
「おめでとうございます!」と声をかけて渡し、
若者たちも「ありがとうございます」と弾んだ声でパンフレットを受け取っていた。
その光景を横目に、掲示板の前にやってきた僕は、2つの学部を受験していたので
それぞれの学部の合格者番号を目で追っていき、
1つ目の学部の掲示板で自分の番号を見つけ、
2つ目の学部の掲示板でも自分の番号を見つけ、踵を返して校門へ歩き始めた。
何も表情を変えずに掲示板から校門に向かってきた男子に、
スーツ姿の人たちは戸惑っていて、
「どっちだろう、この子。
落ちてる?に、しては・・・。受かってる?に、しては・・・」
とという心の声とともに動けずにいて、
僕は何も差し出されないまま、校門を出て駅の方へ歩いていった。

そうやってポーカーフェイスを決めこんだのは、
何も関係ない人に「おめでとう」と言われるのは気味が悪いなと思ったからだが、
後日、大学の入学金を支払いに、銀行の窓口に向かった際、
窓口の女性が開口一番「おめでとうございます」と微笑んできた。
おめでとうございますって、もし今、
入学金を収めようとしている大学が第一志望でなくて、
滑り止めとしての入学だったらおめでたくない可能性だってあるだろうに。
よくも、なんの関係ない人におめでとうなんか言えますね・・・。
そう家に帰って言うと、
父親は「手数料取れるんだから、銀行からしたらそれだけで、おめでたいやろ」と言った。

世の人は思ってなくても簡単に「おめでとう」と口にするんだなぁと思ったのは、
それが最初ではなく、
小学生の時も中学生の時も、式典で壇上にあがる校長先生や来賓の人たちが、
「入学おめでとう」「卒業おめでとう」と、
生きていれば当たり前に誰もが経験できることに対して、
口々にお祝いしていた時から感じていた。
なにがおめでたいんだと、スカした子どもだった僕は毎度思っていたが、
大人になると、関係ない人に「おめでとう」と言われる機会もなくなり、
おめでたいことってのは生まれて最初の20年ほどに集中してるんだなあと
思ったりもした。

「おめでとう」と言われることがなくなってだいぶ経ったが、
先日、第一子が生まれ、多くの人に「おめでとう」と言われることになった。
命が誕生するのはめでたい話で、
しかも、「おめでとう」と言ってくるのは自分に関係ある人達なので、
「子どもが生まれてなにがめでたいんだよ」などと言うほど、
ひねくれた人間ではない。
素直に「ありがとう」と思う。

新たな生命を生み出す出産というのは大変なものだが、
頑張るのはほとんど女性なので、
特に男の出番はないが
子どもが生まれたら、役所に出生届けを出さなくてはいけないということで、
男として、市役所に書類を出しに行った。
出生届けというくらいだから届けを出してすぐに終わるものと思いきや、
出生のための記録とそれに関わるもろもろの手続きで長い時間待たされた。
ようやく自分の番号が呼ばれ、
子どもに関わる検診や保険の書類を一式渡されたが、
その一番上の紙には、でかでかと
「ご誕生おめでとうございます。市役所一同、心よりお祝い申し上げます」
と書かれていた。
こ、心よりお祝い・・?
全然知らない人に心よりお祝いされているのだが、
いったい、この「市役所一同」とは誰のことだろうか。
なぜ自分に何の関係もない市役所一同が、僕に、お祝いを申し上げるのだろう。
家に帰ってそう言うと、祖父になった父親は
「将来の納税者が生まれたんだから、そりゃあ、心よりのお祝いやろ」と言った。

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