お手紙、拝読いたしました。
そんな文章で始まる手紙をこちらが拝読して思う。
手紙には「お」が付くのに、なんでメールには「お」がつかないのだろう。
「お手紙」とはいうが、「おメール」とは言わない。
「お菓子」や「お茶碗」など、名詞につく「お」は、丁寧や尊敬を表す。
中には「お茶」や「お湯」など、名詞自体が短いため、
「お」をつけて言う場合もあるようだが、
「手紙」は短くもないので、「お手紙」の「お」は、「丁寧」で間違いないだろう。
もしかしたら、「メール」のような外来語には「お」をつけない決まりなのかもしれない。
辞書には、「和語や和語化した漢語の名詞に”お”を付ける」とあるので、
外来語はもともと「お」と相性が悪いのかもしれない。
「お」は、すべてを柔らかくする。
お米、お花、お水。
お願い、お開き、お勘定。
おなか、おしり、おなら。
マネーだって、「金」というより「お金」と言えばいいものに思えるし、
グランマだって、「ばばあ」というより「おばば」と言えば、より身近になる。
もし、外来語に「お」を付けることができなければ、
日常会話のなかに「横文字」が増えれば増えるほど、
日本のことばは、柔らかさを失っていくのかもしれない。
「お手紙」と言う機会が減り、
「メール」「ライン」と口にする機会が多くなれば、
自ずと、日本語は柔らかさを失うのかもしれない。
ただ、以前、この国に大陸からの漢語が氾濫し、
日常の会話が「漢字仮名交じりことば」になったことで、
日本語が、論理と感情を表現できることばになったように、
どの程度外来語を入れれば、
バランスのいいことばになるのかは、後になってみないとわからない。
どんなものにでも「お」をつけるという日本語の性質が、
日本人の”ばか丁寧さ”を作り出している可能性だってある。
メールを「おメール」と言わないくらいが、
これからの日本人としてはちょうどいいのかもしれない。
ただ、パソコンでメールを打つようになって、
「〇〇と思い、筆をとりました」という表現ができなくなったことは、
過渡期としての問題だなと思う。
パソコンの前でとっているのは、筆ではなく、キーボード。
今後、この表現が、
「〇〇と思い、キーボードをとりました」になるのか
「〇〇と思い、スマホに親指を走らせました」になるのかはわからないが、
是非、そこのところは、
日本的な表現に落ち着いてほしいなと願う。
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