サッカー・ワールドカップロシア大会が終わる。
日本代表は、ベスト8の壁をあと一歩で破れるというところで負けたわけだが、
考えられる最良の負け方で負けたと言ってもいいくらい、いい負け方をした。
自分たちの持てる力を存分に出した上で世界にインパクトを残し、
自分たちに今、足りてない部分を最後にはっきりと突きつけられた。
最良の負け方をした日本代表メンバーの何人かは、
大会前に比べて大きく株を上げたり、再評価されることになった。
たとえば、柴崎、乾、香川、昌子。
今大会の活躍で大きく価値をあげた選手たちだったが、
この中の、だれ一人として、大会前に、代表の中心にいた選手はいなかった。
柴崎は、長く代表の中心だった遠藤保仁の後継者と言われながら、
大会の直前まで監督やファンからの信頼を勝ち取れず、先発と控えを行ったりきたり。
乾は高校時代から天才ドリブラーと言われながら、
30歳をすぎるまで、代表に定着することができず、
今大会前も試合終盤のジョーカーとしての役割でしか考えられていなかった。
昌子は、代表スタメン中唯一の国内組で、
大会前のパラグアイ戦までは、
スタメンとしての力量が不足していると見られていた。
香川は、長らく代表の中心にいながら、
クラブチームで見せるような輝きを代表で放つことができないでいた。
ワールドカップ数ヶ月前には、代表メンバーからも外される憂き目にあっていた。
そんな選手たちが、大会が始まると、一気に花開いた。
それは、選手の調子が良くなったというよりも、
チームの中でうまい具合に噛み合ったとしかいえないような状態だった。
それは、サッカーだからこそ起こったことではないかと思う。
サッカーは、野球などとは違い、流動的なスポーツのひとつであり、
流れの中で得点を奪い、チームメイトとの関係の中で失点を防ぐ。
個人的に良い結果的を残せるも残せないも、
どれだけチームにフィットできているかどうかにかかっている。
どんなに個人的能力があっても、
チームの戦術に合わなかったり、
チームメイトとの連動がうまくいっていなかったら、
よい成績は残せない。
他の競技に比べて、その傾向が、サッカーは強い。
だから、長らく代表でいい結果が残せていなかった柴崎がピッチで輝くためには、
柴崎に合うフォーメーションが必要だったわけで、
乾には、香川と長友が必要だったわけで、
香川には、彼に合うチーム戦術が必要だったのだ。
(昌子が輝くためには、きっかけと自信だけあればよかった気がするけど)
サッカーでは、そのちょっとしたことで、選手は輝き、また、輝きを失う。
ちょっとした関係性、ちょっとしたスタイル、
ちょっとした考え方、ちょっとした自信。
世界中の人が野球ではなくサッカーに熱狂するのは、
そういうことに強く共感できるからかもしれない。
野球のように、チームが負けても、個人成績だけでスターになれる競技ではなく、
チームメイトの助けがなければ、輝きを放てないサッカーに、
多くの人は「社会」を見るのかもしれない。
ちょっと一緒にいる人が変われば、結果が変わったり、
ちょっと上司の考え方が変われば、結果が変わったり。
そうした、ちょっとしたことの変化で、
人生は違った方向に転がっていくことを知っているのかもしれない。
いいチームやいい戦術、いい監督やいいチームメイトに出会えるかどうかは、
めぐり合わせだ。
周りからサッカー小僧と言われてきた乾は、
日本のJ1からJ2に落ち、ドイツのチームを経由して、スペインに渡って初めて、
彼がいちばんサッカーを楽しくやれるチームに巡り合った。
乾はずっとサッカーがうまかったが、
ずっと自分が満足するサッカーができるチームを探していた。
だからこそ、30歳になって初めて代表で輝いた乾を、皆が祝福する。
「遅かったね」とは言わず、
「ようやく出会ったね」と。
自分の実力を、存分に発揮することるができる人は、
見るものを、惹き付けてやまない。
対戦スポーツは、その、お互いの、「最良の形」を潰し合うからこそ、
実力の100%を出し切れたプレーをする人たちを見て、私達は興奮し、エールを送るのだ。
それがたとえ、決勝の舞台であろうと、
準々々決勝の舞台であろうとね。