方言は地方で生まれる言葉と思われているかもしれないが、意外と、中央の言葉が地方に伝播しながら形を変えていったものであることが多い。
西日本において「中央」というのは、昔の京都のことである。
京言葉が田舎に伝播したのが多くの方言であり、田舎が独自に作った言葉ではないのだ。
全国的なメディアのなかった江戸時代。
口から口へ言葉が渡されながら言葉が伝わっていくスピードは、一年に1kmくらいだったという。
例えば、「標準語」である京都の言葉が北陸の石川県・金沢に伝わるまでには、250km=250年かかる。
そのため、江戸時代の後期に金沢で金沢弁として定着したような「標準語」は、京都では、江戸初期、もしくは、室町時代に使われていたような言葉だという。
なんというスローメディア、スローライフ。
そうやってカタツムリのようにのろのろと伝わった言葉は、口から口へ、伝言ゲームのように伝わっていくゆえ、京都に近い福井、その先の石川、その先の富山と、じょじょに形を変えて定着していった。
例えば、金沢の方言は、京都から福井を通過する「陸ルート」や、船を介して伝わる「海上ルート」など複数あったらしいが、京都からどれほど離れているかによって、方言の変化の仕方も異なったという。
その影響はスローメディアではなくなった現代でも同じで、北陸自動車道や上越新幹線ができたことによって、現代の「中央」である東京に近い富山のほうが、東京から遠い石川よりも「中央」の影響を受けているらしい。
つまりは、共通語への転換が早く、方言の喪失が早くなっているのだという。
今でも、「中央」への距離の近さは、言葉の変化に影響しているのだ。
変わって、今度は九州のはなし。
九州弁の代表みたいな方言の一つに、「ばってん」という言葉がある。
「が」「しかし」を意味する表現で、福岡、佐賀、長崎、熊本などで今も使われている。
(昔の筑豊・筑後・肥前・肥後である)
この「ばってん」の由来は、英語の「but then」から来たという説と、古語の「ば・とて」から来た説がある。
後者は、江戸時代(1844年)の随筆「世事百談」に記載があるという理由から、より有力な説なのだが、語源として面白いのは前者のほうである。
ただ、よくよく考えてみると、鎖国が解けて、米国・英国人が長崎に滞在するようになるのは、幕末であり、そうなると、1844年にすでに「ばってん」が使われていたとする「世事百談」の説明とは食い違う。
それに、前述した言葉の伝播 1km=1年のスピードを思えば、信憑性は薄くなる。
仮に、「世事百談」についてなんらかの誤解があり、「ばってん」が比較的新しい言葉だとしても、なぜ「英語」なのか疑問が残る。
江戸時代に長崎から伝わるならば、鎖国の完成まで日本と通商していたポルトガルか、鎖国中も細々と出島に滞在していたオランダの言葉のはずである。
英語では辻褄が合わない。
もし、英語が語源であるなら、「ばってん」は、明治後期か大正くらいに広まった言葉ということになり、それは新しすぎるように思う。
加えて、方言が地方ごとに変化するという前述の説明に戻れば、長崎でも佐賀でも熊本でも福岡でも、「ばってん」がまったく同じ「ばってん」なのは疑わしい。
長崎でアメリカ人が話していた「but then」が長崎から九州各地に広まったのなら、佐賀で「ばっとん」、福岡で「ばったん」、熊本で「ばっちょん」くらいに変わっていても不思議はない。
「しかし」というメジャー接続詞がどの地域でもまったく同じ発音をすることから考えると、ある地域から各地に伝播したのではなく、どの地域も同じような古語をもともと持っていたと考えるほうが自然である。
まぁ、でも、ちゃんと文献に当たって書いているわけではないので、「but then」説も可能性はあるのかもしれない。
ポルトガル語の古語には「but then」という言い方があって、キリスト教の宣教師によって福岡や熊本の藩にも同時にもたらされていたとかいう想像もできる。
その可能性は低いかもしれん「ばってん」、そっちの方が、方言の可能性としては広がるもんやけんね、と言っておこう。