ビックリマンチョコの復刻版か特別版かなにかが発売されているらしく、
同僚が、コンビニのビックリマンチョコを、
箱ごと、買い占めている。
数十年前、ビックリマンチョコの「おまけ」として入っているシール欲しさに、
チョコを店先に捨てていた子どもたちの行動が社会問題になっていたが、
あれから、どのくらいの時がたっただろう。
あの時の子どもたちが立派な大人たちになっても、
ロッテは、まだ販売のターゲットとして彼らをロックオンしたままで、
ロックオンされた元子どもたちは、
大人になり、自分の使えるお金が増えたこともあって、
ロックオンされていることを特に嫌だとも思っていないが、
当時の子どもたちも大人になり、
食べ物の大切さがわかったらしく、
あの頃、平気でチョコをゴミ箱に捨てていた僕の同僚も、
今は、食べきれないチョコをタッパに保存して、
少しずつ、おやつの時間にかじっている。
ビックリマンチョコはチョコがメインで、
シールはおまけのはずだが、
メインでなく、おまけが購買の目的になってしまうことは、よくあることだ。
グリコのキャラメルも、ペプシマンフィギュア付きペプシコーラも、
欲しいのは本体ではなく、おまけ。
マクドナルドでハッピーセットを買うのも、おまけ欲しさだし、
アイドルのCDを買うのも、握手券欲しさなのだが、
握手券は、正確には、
「おまけ」ではなくて、「特典」らしい。
女性誌にも、おまけとして、
でっかいポーチやトートバッグが付いてくることがあるが、
あれも、「おまけ」ではなく、正式には、「付録」。
おまけは、「御負け」と表記するように、
ちょっと「負けてる」くらいじゃないとおまけとは呼ばれないわけで、
ポーチとかリュックとかタイツとか、
雑誌に全然負けてないようなものは、
おまけの名では呼ばれない。
あんなにかさばって、雑誌を隠してしまうものは、
「付録」でちょうどいい。
そんなおまけ文化は、海外にもあるのだろうが、
アメリカなんかでは、おまけを付けて購買者を釣ろうとするよりも、
「2個買ったら3個目無料!」みたいな、
ディスカウント形式のセールスが多い気がする。
アメリカ人は、「おまけあげる」に、
日本人ほど、心躍らされないのかもしれない。
おまけに心躍らせてしまう日本人は、
自分と同じように、世界中の人がおまけ好きだと思っているのか、
ebayやamazonなどで、個人が海外のお客さんにものを発送する際、
購入された商品と一緒に、
おまけを入れることも多いらしい。
それを見て、素直に喜ぶ外国人も、
まったく興味を示さない外国人もいるそうだが、
僕がウェブで見た外国人は、
送られてきた腕時計の箱の中にあった「おまけ」に大層喜んでいた。
それは、壊れやすい腕時計を守るために入っていた4つの「明治のカール」で、
パンパンに膨らんだカールが、
緩衝材代わりになっていた。
それを見たその外国人は、
「WOW! 日本のおまけ文化って最高!」と、
はしゃいでいたが、
それは、おまけの素晴らしさではなく、
おもてなしの素晴らしさだろうと、僕は思った。
復刻版のビックリマンシールをどうしてもコンプリートしたい同僚は、
食べきれない数のビックリマンチョコを買って、
タッパに入り切らなくなった分のビックリマンチョコを、
僕にくれた。
久しぶりに食べるビックリマンチョコは懐かしかったが、
一枚でじゅうぶんな味だった。
その単調な味に、
数十年前、チョコを捨てた子どもたちの気持ちが、
少しだけわかった気がした。
(捨てちゃだめだめだけどね)