甲子園で、毎日、熱戦が繰り広げられている。
今年の選手宣誓はどこのチームのキャプテンがやったのか知らないが、
選手宣誓で「スポーツマンシップに則り・・・」と言うのは、
野球だけでなく、サッカーでも、バレーボールでも、
どの大会でも言われるお決まりのフレーズだ。
ただ、最近、ある高校野球の映像を見て、
「スポーツマンシップ」って何だっけなぁと思うことがあった。
ある甲子園予選の一場面でのこと。
一塁にいたランナーが二塁に盗塁し、キャッチャーが二塁に送球。
タイミングは確実にアウトだったが、二塁手がボールを落球したため、
誰もが「あぁ、セーフだな」と思った。
しかし、ボールをこぼしたことに気づかない塁審は大きく「アウト」の判定。
当然、攻撃側の監督は猛抗議。
それでも覆らない判定に、スタンドから客が何人も降りてきて、
球場が騒然となる、という映像があった。
もし、選手が「スポーツマンシップに則っ」てプレーしているのならば、
その二塁手は、「ボール、落としました」と言うべきだし、
選手が言わないとしても、守備側の監督が、
「今のはアウトじゃない」と、審判に申告するべきだ。
しかし、野球で、そういった「自己申告」を見たことは一度もない。
自分に有利な判定は、例え、明らかな間違いであっても、無視する。
野球では、それが、当たり前。
その当たり前は、「スポーツマンシップに則っ」ているのだろうか。
これが高校野球でなくプロ野球ならば、問題ないような気もする。
プロ野球選手は、これまで一度も、
「スポーツマンシップに則り」と選手宣誓したこともないし、
大人による”興行”が、「スポーツマンシップに則る」必要はない。
しかし、「スポーツマンシップに則り」と宣誓させ、
教育的側面を強調すアマチュア野球では、
「スポーツマンシップに則っ」たプレーを考えた方がいいんじゃないかとも思う。
野球で、自分の不利になる「自己申告」場面を目にしたことはないが、
サッカーでは、時々、そういう場面を見ることがある。
審判の見ていないところで、
わざとコケたり、わざと掴まれたフリをしたり、
スポーツマンシップの風上にも置けないようなプレーをするサッカーだが、
同時に、それらの”いきすぎ”を是正するようなプレーもある。
審判の明らかな誤審によってもらったPKを、
わざと遠くに蹴って外したり、
審判が間違って吹いた笛に対して、
有利な立場に立った選手の申告が、笛をなかったことにしたり。
もちろん、ほとんどの場合は、
間違った笛でも受け入れるし、
手を使って入れたゴールだって知らん振りして喜んでいるのだけど、
まれに、サッカー選手も、「スポーツマンシップに則る」ことがある。
「スポーツマンシップに則る」というのは、
ルールとマナーを遵守するということだ。
戦国時代のような、なんでもありの殺し合いではなく、
決められたルールと暗黙のマナーの上で、
正々堂々、勝負しようということ。
「塩がないと、フェアな戦いになんないよね」
そう言って、敵に塩を送り、戦う上での条件を同じにすること。
そう考えると、誤審を見逃すことは
スポーツマンシップに悖る(もとる)行為ではないのかもしれない。
どちらのチームにも起こる可能性のある誤審は、
見逃しても受け入れてもいい、天災のようなものだろう。
それは、どちらかというと、
スポーツマンシップではなく、気概の問題。
「誤審で勝っても、何も嬉しかねぇし」
そういった、選手の気概を示すための機会。
だとしたら、
これは高校野球のようなアマチュアではなく、
プロの選手たちが考える問題だろう。
プロ野球の試合で、同じように、盗塁の際に誤審があった際、
ピッチャーが、次のバッターをわざと四球で歩かせて、
その次のバッターにワインドアップで投球することで、
わざと二塁への盗塁を許すような、
そんな選手が出てくれば、野球界も変わるだろう。
「誤審で勝っても、何も嬉しかねぇし」
その言葉をプレーで示すようなプロの選手が登場したら、
多分、高校野球の「スポーツマンシップ」も、そのうち、変わるに違いない。
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