高校生はなんだかテストばかり受けている。
中間テストが終わったかと思えば、校内模試。
期末テストまで時間があるかと思いきや、
進研模試やらセンター対策テストやらの校外テスト。
なんだか彼らは、”テスト”されてばかりいる。
テスト(test)は「テストする」という言い方があるように、
治験者の力を「はかる」という意味だ。
英語ではテストではなく「quiz」と言ったり「exam」と言ったりするが、
「exam」もテスト同様、「examine=調べる」という意味。
学校は、テストを課すことで、彼らの実力を「調べて」いるのだ。
テストは、力を調べるためにやっているので、
繰り返しやったからといって、成績がよくなるわけではない。
練習試合であぶり出された弱点は、練習で克服するしかないのだ。
テストにおいては、いい点数を取ることに価値があるように考えられているが、
もともとは「自分の力をはかるため」にあるものなので、
「点数を取ること」よりも「自分の力を知ること」の方がよっぽど大切。
例えば、テスト前に、自分の勉強量を思い返して、
「今回は70点しか取れないだろうなあ。
取れて、75点。多分、72,3点だな」
と想像する人がいたとして、
実際にテスト結果が72、3点だったとしたら、
それは、もう、72,3点ではなく、満点だ。
逆に、「今回は70点しか取れないだろう」と想像して、
テストで90点を取ったとしたら、
それはもう、90点ではなく、ほぼ、0点だ。
自分の想定と結果に20点も開きがあるなんて、
なにもわかっちゃいない。
「70点しか取れないだろう」と思い、
実際70点を取る人は、自分の実力をわかっている。
自分のやってきたこととテストの難易度を客観的に見る目を持っている。
そういう人が立てる目標やその目標に至る計画は間違っていないことが多い。
逆に、自分の想定点数と実際の点数に開きがある人が設定する目標や、
目標に至る計画はたいてい間違っている。
間違った計画を立てて、その通り進んだとしても、
たどり着くのは、間違った場所。
それは、悲しい結末にしかならない。
だから、毎度毎度のテストで大切なのは、
高い点を取るよりも、自分の実力を理解すること。
点数はどこまでいっても、だだの数字でしかないのだ
ただ、「点数はしょせんただの数字でしかない」のは、
自分に嘘をついていない場合のみ。
自分に嘘をつけば、点数は「ただの数字」以上の「現実」になる。
自分は「微積分」が苦手だと本当は知っているのに、
点数の悪さを、自分の能力ではなく、勉強時間の少なさなどにすり替えてしまうと、
苦手な部分はそっと自分の中に潜んでしまう。
自分に正直である場合のみ、「点数」はただの「数字」としてあるのであって、
自分に嘘がある場合、その「数字」はなによりも「実態」を表してしまう。
テストをただの「力をはかるための機会」と本当に思うのならば、
自分に嘘をつく必要はまったくない。
「力をはかっている」のも、「力をはかられている」のも、自分なのだから。
日本語では「テスト」のことを「”試”験」という。
テストは「はかるもの」だが、試験は「試すもの」。
日本で試験を受ける人は、いつも「試されている」のだろう。
その時試してくるのは、学校の先生や資格試験の先生、
はたまた、国家試験やセンター試験なのだろう。
ただ、どんなに大きな試験でさえ、
ほんとうに「試している」のはたぶん、国家試験やセンター試験の顔した自分。
「試されている」のも、「試している」のも、どちらも自分自身なのだ。
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