韓国で行われていた平昌オリンピックが閉幕した。
ほとんど観る機会がなかったので、印象に残っているシーンもないのだが、
フィギュアスケート男子が行われていた際、新大阪駅にいたので、
宇野選手の演技だけは遠目に見たことを覚えている。
テレビの前にひとだかりとなってテレビに釘付けになっていた新大阪駅の乗客たちは、
最終演者・宇野選手が滑り終え、『羽生、宇野の金・銀メダル』が確定すると、
どっと湧き、大きな拍手で祝福した。
こんな国際スポーツ大会でもなければ、
こんなに皆が一緒にテレビを見る機会などない。
羽生・宇野両選手は、少なくとも、新大阪駅の群衆を一つにした。
しかし、どっと湧いて、拍手をした後、
皆、余韻を楽しむ間もなく、それぞれがスマホをいじったり、改札に向かったりと、
散り散りばらばらになっていった。
これが1964年の東京オリンピックなら、
隣の知らない人と肩を組んで歌なんか歌ったりしたんだろうなと想像する。
羽生・宇野コンビでさえ、日本人に肩を組ませることまではできない。
われわれは、知らぬ間にだいぶドライになってしまった。
日本は外国から見ると、いつもぺこぺこと頭を下げる『お辞儀の国』である。
初めての人と会うと握手でなく、お辞儀。
異性の友人と気軽にハグしたりせず、別れの際も軽くお辞儀。
お辞儀の国では、それ相応の間柄にならないかぎり、
人に触れたくても触れる機会が限られている。
しかし、お辞儀の国の住人は、昔から人と接触していなかったわけではない。
皆が貧乏長屋に住んでいた頃は、
狭い家の中でくっついて食べ、くっついて寝、
文字通り肩を寄せ合って暮らしていた。
子どもたちも、遊ぶといったら、相撲やごっこ遊びなど、
からだを使った遊びしかなく、遊ぶついでに弟や妹の面倒をみなければいけないので、
背中におぶったまま遊んでいた。
学生紛争やってる時代の学生だって、まだ肩を組んで皆で横に揺れていたし、
三世代一緒に暮らすのが当たり前だったちょっと前の嫁姑だって、
肩を並べて夕飯の支度をし、裁縫をしていた。
そういった体が触れ合うのが当たり前の生活の中で見せる「礼節」が、
お辞儀であり、”非接触”であるお辞儀は、礼節の証だった。
なのに、今、人が、人と触れ合っていない。
人と人の距離がいつも遠い。
普段の生活の中で人と人がまったく触れていないのに、
挨拶がいまだに『お辞儀』。
謝る時も、感謝を伝えたい時も。
なにか伝えたい熱い気持ちがあっても触れない。
触れられない。
感謝でもお願いでも、触れたいくらい伝えたい気持ちがあるのに触れないというのは”我慢”で、
それが日本人にとっては美徳であり、礼節であったかもしれないけれど、
もしかしたら、今は、逆かもしれない。
触れてこそ伝わる気持ちってのがあり、
触れないと気持ちは伝わらないのかもしれない。
だから、日本人は、もっと、お辞儀するような場面でも、
手を握ったり、ハグしたり、肩を組んでいいと思う。
オリンピック金・銀メダルコンビでも、
日本人に肩を組ませることができないんだもん。
日本人よ、自発的に、もっと、ボディコンタクト(接触)を!
コメント