インターネットができて、
だれもが自前のメディアを持てるようになると、
有名人と一般人の垣根がなくなった。
動画サイトや写真投稿サイトにも、
有名人と一般人が同列に扱われて表示される。
メジャーな人とマイナーな人の間に以前のような大きな差はなくなった。
それでも、マイナーなままでは終わりたくない、
メジャーになりたい、と思う人は世の中にたくさんいる。
フォークシンガーの竹原ピストルは、
その界隈では誰もがその才能を認める実力者だった。
その存在感あるキャラクターは、歌の世界にとどまらず、
役者としても活動の幅を広げ、ダウンタウン・松本人志監督作品では、
映画の主人公にも抜擢された。
しかし、それでも、竹原ピストルは、依然として、マイナーな存在だった。
主戦場として周っていたのは地方の小さなライブハウスや、
自身が「フォーク小屋」と呼ぶ、個人が運営する小さな酒場。
フォークに興味のある人や彼が出た映画を見た人でもない限り、
まちで彼の顔を見て、「竹原ピストル」だと指を指す人はいなかった。
ピストル自身も、自分の演奏スタイルがメジャー向きではなく、
一部のコアなファンにだけ突き刺さる歌だと自認していたし、
それでいいんだと思っていた。
しかし、その考えを覆したのが、2011年3月11日の震災。
地震が起きた当日、ライブのため、福島に入っていたピストルは、
そこでしばらく、被災者とともに、避難生活を余儀なくされた。
大災害に打ちのめされた、被災直後の人たちに、音楽に耳を傾ける余裕などはなく、
ミュージシャンとして何もすることのできないピストルはギターを持つこともなく、
一人の大人として子どもたちと遊んだりして時を過ごしていた。
誰も、ピストルのことをいっぱしのミュージシャンだと気づかない中で、
ピストルは、東京から被災地に炊き出しにやってきた有名人たちが、
現地の人たちをどれだけ勇気づけているいるのかを目の当たりにする。
皆に知られているということが、いかに人に元気を与えるのか、
まざまざと見せつけられたピストルは、それまでの自分の考えを思い直す。
「よし、自分もメジャーになろう」。
そう決意してから6年。
これまで続けてきたフォーク小屋ライブを周りながらも、
メジャーになるための方向転換をしたピストルは、
保険会社とタイアップを組んだCMソングで人気を博し、
その年、年末の紅白まで上り詰める。
小さなライブハウスで数えられるほどの客を前に、
「これからメジャーになります」と言っていた男は、
それから6年で、日本一メジャーな歌番組に出演した。
有言実行。
それは、「メジャーにならなければできない」と思ったからこそ辿れた道だったけれど、
マイナーな時に鍛えていた強靭な足腰を持ってすれば、
ピストルに必要だったのは、ただ足先をメジャーに向けて、
最適なきっかけを待つだけだったような気もする。
そんな6年前のことを思い出したのは、
竹原ピストルと同じ時期に僕が好きになったシンガーデュオが、
NHKの有名な対談番組に出ていたからだ。
彼らもまた、その界隈では、実力者だと認められつつも、
マイナーな存在に留まっているグループだったが、
あるインタビューの中で、
「紅白出たいか出たくないかと言われたら、出てみたい」と口にしていた。
そうであれば、彼らの足はすでにメジャーに向けて進んでいるはずで、
あのNHKの対談番組は、その一歩目だったのかもしれない。
メジャーになりたい。
力があって、方向が定まっているものがそう思う以上、
あとは、最適なきっかけを待つだけなのだろう。
コメント