ルッキズム

「ジェンダー」はセンシティブな問題になったので滅多なことは言えなくなったので軽口というのを前提に聞いてほしいわけなんだけども、ルッキズムとかで、「すべての人の体は美しい」っていう風潮はどういうことなんでしょうか。
美の基準が一つではないよ。スレンダーだけが美しさではないよ、という意味で、ぽっちゃりした人も、ガタイのいい人も「良し」とされていて、それはそれで、もちろん理解できるんだけど、「なんでも良し」なのだったら、人は、努力や節制をしなくてよいのかしら。
適度に節制して運動してぽっちゃりな人と、毎晩、欲望に負けてあんころ餅食べて、ソファで日がな一日ゴロゴロしている人の体っていうのは、どちらもそれぞれに「美しい」のでしょうか。
エルフが出てくる話じゃないけど、「ありのままで〜」美しいのだとしたら、それは、価値を超越した世界であって、すべてが「ありのままで美しい」なら、すべてが「ありのままで醜い」ってことと同じで、そこに美醜、上下はないのでは。
そんな境地にはいけないからこそ、我らは老いた姿をちょっとでもマシにしようと顔に粉をはたき、だらしない体を覆うシャツにアイロンをかけるのではなかろうか。人に対して、醜態をさらさないようという配慮のもとに。
生まれながらのどうしようもできない体や体の性質を受け入れることと、それを全肯定して前に押し出すことは違うことではないかしらん。
どうしようもないことは、「しゃあない」ことであり、それは「諦め」であり、「手放す」ことであり、いいとか悪いとかじゃなくて、「そういうことでありますならば、そういうことでっしゃろ」ってことなんだから、「すべての体がそれだけで美しい」っていうのは生命賛歌ではあっても、そんなに「是なるテーゼ」として押し出すものではないのではないのかしらというダウト。
「ありのまま」のものは「プラス」でも「マイナス」でもなく「ゼロ」であるわけで、そうであるなら、「すべての人のからだは美しい」ではなく「すべての人のからだは在る」。「ある」という奇跡。「ある」に対する讃歌。形はどうあれ、あるっていいな。人間っていいなって、そういうことにはならん?

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