「レンタルなんもしない人」という人がいる。
ゲームの人数合わせや花見の場所取りなど、
ここに誰か一人いれば助かるという時に、ツイッターで依頼すれば、
交通費だけでやってきてくれる、個人的なサービスをやっている人。
そこにいてくれるが、特段、なにかのサービスをしてくれるわけではないのが、
「レンタルなんもしない人」。
世のなんでも屋さんや「レンタルおじさん」みたいなものとは、
依頼者から実費以外のお金をもらわない点と、
「なんもしない人」が個人的にやりたい依頼だけをやる点において違うようで、
ツイッター上で交わされる、風変わりな依頼内容が、評判を呼んでいる。
例えば、ある女性依頼者は、男性ものの服が好きで、メンズの服屋さんに行きたいのだが、
女性ひとりで男性服を見ていると、店員に変な眼で見られることがあるため、
「なんもしない人」に、ただ、自分の横にいてほしいという旨の依頼をする。
知り合いに頼むには気が引けるが、
お金を払ってやってもらうまでもないような依頼。
また、ある人は、東京から大阪に引っ越す際、
一人で新幹線に乗るのが寂しいので、
東京駅に自分を見送りにきてほしいという依頼をする。
見送りに来てくれる友達はいないけど、一人で旅立つのは寂しい。
でも、それにお金を払うとなると、なんだか惨めな気持ち。
そんな時に頼れるのが、「レンタルなんもしない人」。
「なんもしない人」は、知り合いでもないのに、
ホームから、新幹線で大阪に旅立つ依頼者を笑顔で見送ってくれる。
知り合いでもないし、仕事でもないのに。
このサービスというか「社会実験」は、
頼み事には、仲がいいからこそ頼めないことや、
知り合いだからこそ頼めないことがあることを物語っている。
人は、人間関係の煩わしさを、お金で解決することもあるが、
逆に、お金で解決できないことを、見ず知らずの人に頼ることもある。
僕も以前、初めて会った人に、個人的な秘密を打ち明けられたことがあるが、
その人は、見ず知らずの人にこそ、それを聞いてほしかったのだろう。
誰でもいいから聞いてほしい。
誰でもいいから見ててほしい。
その類の願いは、インターネットやSNSの発達によって、
いろんな人との関わり方ができるようになった今でも、まだうまくは解消されていない。
ちょうどいい、「誰でもいい誰か」は、まだ、見つけにくい。
その中で、「レンタルなんもしない人」は、
誰もが簡単に見つけやすい、「誰でもいい誰か」なのだろう。