偉い人を最近、みない。
偉い人はどこにいるのだろう。
子どもの頃、偉い人は、伝記の中にいた。
エジソン。
野口英世。
キュリー夫人。
エジソンは偉い。
白熱電球、蓄音機など、様々な発明をして、人々の生活をガラッと変えた。
野口英世も偉い。
黄熱病に効果のある研究をし、数多くの命を救った。
キュリー夫人も偉い。
ラジウム放射を見逃さず、がん治療の手段を提供した。
また、男だらけの学界で、女性として地位を築いた。
子ども向けの伝記シリーズは今もあって、
「偉い人」のラインナップには、そんなに変化がない。
上の3人は、いまだに伝記ものの中心にいて、
本田宗一郎だとか、シャネルだとか、
後発の新人も少しは入ってきているが、
基本の「偉い人」たちには、変わりがない。
ただ、彼らが活躍した時代、
日本や世界には、貧困や欠乏があり、
世界の偉い人になるためには、「そのハンディキャップを克服した上で、
社会に蔓延する不条理を改める」ということが必要だった。
キュリー夫人は経済的に欠乏しており、
野口英世は左手が使えなかった。
エジソンは小学生の時、すでに学校に見捨てられて、
まともに公教育を受けさせてもらえなかった。
時代を経て、平成の世になっても彼らの「偉さ」は変わらないが、
あの時代にあったような、
悲しいまでの貧乏や、理不尽なまでの社会的不平等は影を潜めるようになった。
今のこどもは、「ふつう」の中で、もがいている。
憎むべき貧乏も、大きく曲がった母の小さな背中もない。
どこの家庭も「金がない」と言いつつ、
マックとユニクロとダイソーとyoutubeとパズドラで、
日々の暮らしを、ぼちぼちやっている。
克服すべきハンディキャップのない、
「ふつう」の世界で生きている彼らの目標となるようなこれからの「偉い人」は、
たぶん、自分の”好き”を貫いた人だ。
社会のためでなく、自分のために頑張った結果が、
みんなのためになってしまったような人。
例えば、ジル・サンクロワ。
サーカスが好きだっただけなのに、
高次元でアートとエンターテイメントが融合できることを、
シルク・ドゥ・ソレイユを作ることで証明してしまった。
ジルは、偉い。
例えば、岩田聡。
プログラミングが好きでのめり込んでいただけだったのに、
好きが高じすぎて、任天堂の社長として、WiIやNintendoDSを世に送り出した。
岩田さんも、偉い。
別に、自分の好きなことをやっているだけなんだから、
当人ががんばろうが頑張るまいが他人には関係ないはずなのに、
彼らが頑張ったおかげで、結果的に、みんなが喜ぶことになった。
それがこれからの「偉い人」。
社会に打ち克った人じゃなく、
自分に打ち克った人。
そういう人が、これからの「偉い人」で、
そういう人には、「ふつう」に生きている今の子どもも、素直に憧れることができる。
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